浜川運動公園を2倍に拡張
(2014年3月7日)
工事は2期でテニスコート先行。清水善造メモリアルコートも
高崎市は、高崎市議会一般質問で、来年度から予定している浜川運動公園の拡張計画について考えを示した。
浜川運動公園は、昭和58年の赤城国体に合わせて建設され、現在は面積約19・2ヘクタールとなっている。昭和56年に観客席付きの体育館(メインアリーナ=バスケットボールコート2面、サブアリーナ=バスケットボール1面)、昭和58年に日本陸上連盟第2種公認全天候型陸上競技場を建設、日本水泳連盟第2種公認屋外プール、温水プール、トレーニングルームを備えたプール場、弓道場を備えている。年間約26万人が利用している。
松本副市長は「高崎のスポーツ施設は老朽化しており、現在の浜川陸上競技場で国体や国際競技はできない。新体育館と同様、施設を改修する場合は、国内大会、国際大会が開けるレベルにしていきたい」と整備方針を示した。
浜川運動公園を18ヘクタール拡張し、ソフトボール場、サッカー場、テニスコートを整備する予定で、テニスコートは観客席付きの清水善造メモリアルコートを含む19面を計画している。ジョギングコースや憩える空間も整備し、市民が楽しめる都市公園にしていく。
松本副市長は「新たに18ヘクタールを整備し、全体で37ヘクタールになり、およそ敷島公園と同じになる。群馬県を代表するスポーツ施設になるよう整備していきたい」と述べた。
清水善造氏は国際的に有名なテニスプレーヤーで、浜川は清水氏の出身地の箕郷町に近く、メモリアルコートを整備することで、清水氏を顕彰するとともに高崎の認知度も高まる。
高崎市は、拡張工事を2期にわけ、第1期としてテニスコートを先行して整備し、平成29年にオープンさせたいと見通しを示している。
清水善造(1891〜1977)=1920年、ウィンブルドン世界選手権に日本人として初出場した清水善造は、アメリカのビル・チルデンと、準決勝で対戦。世界一の名選手チルデンに対し、小柄な清水は軽やかな身のこなしで善戦した。清水は第1セット、第2セットをいずれも4―6のスコアで落とし、迎えた第3セットは5―2とリード。あと1点でセットをものに出来るところで、清水の球を打ち返したチルデンが、足を滑らせ転倒。清水が逆サイドに打てばそのセットを取れるというシーン。ところが清水は、あわてて立ち上がったチルデンが返球できるよう、ゆっくりと弧を描くボールを送りました。結局、このセットはジュースの連続となり、13―11で清水は敗れたもののスポーツマンシップが讃えられ、このエピソードは、清水の柔らかな返球として、広く知られるようになった。