不発弾の爆破処理が成功
(2013年6月30日)
大戦中から戦後に製造された米軍の砲弾と判明
5月15日に菅谷町の民地で発見された不発弾の爆破処理が、30日午前10時前に自衛隊によって行われた。
高崎市は爆破処理を行う周辺地域を警戒区域とし、区域内64世帯178人を午前9時までに避難させ、通行規制を行った。爆破処理が行われた午前9時55分に爆発音が低く響いたが、周辺への影響はなかった。その後、自衛隊によって不発弾の爆破が確認され、10時57分に安全宣言が出され、警戒が解除された。高崎市が避難場所を設置した菅谷公民館には11人が避難した。
爆破処理を行ったのは、自衛隊の東部方面後方支援隊第102不発弾処理隊(東京都練馬区朝霞駐屯地)。
自衛隊によれば、発見された不発弾は、直径75mm、長さ35cm程のアメリカ製砲弾で、一度射撃された痕跡があった。爆発しやすい構造の信管であったため、発見された日に信管を保護するキャップを被せ、土のうで囲い安全を確保した。
30日は、早朝から自衛隊による作業が行われた。不発弾にプラスチック爆薬のC4爆薬1kgを取り付け、木枠をかぶせた後、土嚢150袋(1袋当たり約1トン)で周囲を覆い、約100m離れた菅谷公園から遠隔操作で爆破した。爆破後、覆った土嚢の一部を移動し、内部から不発弾の破片を見つけ、爆破処理できたことを確認した。
自衛隊の調査では、この砲弾は第二次世界大戦から朝鮮戦争までにアメリカで製造されていたもので、一般的には空襲で爆撃機から投下する爆弾ではないと推測される。この砲弾が爆発した場合は、半径100m程度に被害が及ぶと考えられるという。
現地対策本部長の高崎市の木村副市長は「住民の理解が得られスムーズに処理することができた。安全宣言を出すことができ、住民の方も安心して戻れるようになった」とほっとした表情で語った。高崎市内で不発弾の爆破処理が行われたのは、今回が初めてではないかと見られている。