「かつべん」ってなんだ!?
(2012年9月20日)
10月13日(土) 高崎市文化会館
日に日に秋の装いを帯びてくる今日この頃、皆さんはどんな秋を過ごそうとお考えですか?食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、いろいろに思いめぐらせているのではないかと思います。さて、高崎映画祭では、この秋、高崎音楽祭との共同企画で「生演奏で楽しむ映画の醍醐味『かつべん』」上映会を開催し、「かつべんの秋」を多くの皆さんに満喫していただければと考えています。「はて、かつべんとはなんぞや?」と思った方も、その響きに懐かしさを覚えた方もこの貴重な機会にぜひかつべんに触れてみませんか。
そこで、高崎新聞の場を借りて今週から4回に亘りリレー形式でかつべんと映画についてご紹介します。第1回目は「かつべん」について。簡単ではありますが、かつべんについてご説明します。この出会いはきっとあなたの映画史に残る出会いになるのではないかと思います。4週間どうぞお付き合いください。
「かつべん」とは「活動弁士」の略で、簡単にいうと、音声の無い映画に声をあてて、物語を解説する人のことを指します。他にも「映画説明者」や「映画弁士」と呼ばれていますが、広く「活弁」として親しまれてきました。そもそも「活動弁士」の「活動」とは「活動写真」のことをいい、まだ「映画」という言葉が生まれる前の明治・大正期に映画を指す言葉として使われていました。対して「弁士」とは話上手な人や演説・講演をする人を意味します。すなわち活弁は映画を演ずる人というわけです。
活弁は1人で7色の声を使い分ける場合もあれば、数名で役を分担する場合もありました。1人で7色の声を使い分ける場合、短い作品はもとより、1時間越えの作品も1人でこなすわけですから、その滑舌と体力と情熱には脱帽です。今回の企画でも1人が1つの作品を担当し、それぞれの個性を発揮した語りを楽しむことができます。1時間にも亘る作品をご覧いただけば、やっぱり脱帽したくなってしまうことと思います。当時はこれにバックミュージックを担当する音楽隊がつき、映画が成り立っていたわけです。もちろん、今回の上映でも「生演奏で楽しむ映画の醍醐味『かつべん』」なので、生の演奏がつきます。ぜひ、当時の映画の楽しみ方を隅々まで味わってみてください。
話を元に戻しますが、日本で映画が作られるようになったのは明治30年代始め(1900年頃)。当然のことながら、当時の映画は3Dはもちろん、映像と同時に出る字幕や音声は無く、モノクロの作品でした。画が動く、それだけで人々は驚きの連続だったわけですが、そこに彩を加えたのが活弁でした。活弁の始まりは、輸入された映画の原理や短いフィルムの解説役だとされています。その後、日本でも映画が盛んに作られるようになり、活弁が重宝されるようになりました。特に映画の中には映像だけでは難解なものもあり、そうした映画を楽しむ術として活弁は、日本で独自に発達していきました。見世物の文化や古くより「語り」を日常的に親しんで来た日本人ならではの映画の楽しみ方だったといえるでしょう。こうした面から見ても活弁が日本における映画史の重要な役割を担っていたことがわかります。
当時の映画館では活動弁士を数名かかえており、活弁の人気が映画館の観客の入りをも左右しました。同じ映画であっても、より面白い活弁が人気になり、その映画館が繁盛したというわけです。こうした中で、花形弁士も登場しました。「すこぶる非常」を唄い文句に人気を博した駒田好洋(こまだ こうよう1877-1935)、20代にして、従来の活弁を批判し新たな境地を開いた徳川夢声(とくがわ むせい1894-1971)、美男子弁士として多くの女性の心をわし掴みにした生駒雷遊(いこま らいゆう1895-1964)と後世に名を遺したスター弁士も生まれました。当時は映画そのものを観に行くというよりも活弁の語りを聞きに行くという感じに近かったのかもしれません。躍動感ある活弁に人々は魅力され、時にお腹を抱えて笑い、時に涙で袖を濡らし、主人公に感情移入したのでした。1920年代には無声映画の黄金期を迎え、全国で約7500人もの活弁士が活躍していたそうです。しかし、活弁の人気も、音声の付いたトーキー映画の出現により衰退しました。活弁の衰退後、私たちが一般にイメージする映像と音声が一体となった「映画」が主流となり、今に至っていることは言うまでもないことです。
今回、高崎映画祭ではこの活弁にスポットをあて、1日限りの上映会を行います。冒頭でご紹介した「生演奏で楽しむ映画の醍醐味『かつべん』」は10月13日(土)、高崎市文化会館にて上映されます。坂本頼光氏と松田貴久子氏の活弁を楽団カラード・モノトーンの伴奏に乗せてお楽しみください。詳しくは高崎映画祭ホームページをご覧ください。
高崎映画祭ホームページ:http://www.wind.ne.jp/tff/2012/
(高崎映画祭スタッフ 熊倉史子)