飯舘村・菅野村長が来高、本市支援に感謝
(2011年7月20日)
飯舘村・菅野村長が20日に富岡市長を訪問
福島第一原発事故の影響で全村避難を強いられている福島県飯舘村に高崎市が職員を派遣し、業務支援を行っていることに対し、飯舘村・菅野典雄村長と防災対策担当の佐藤周一さんが20日に富岡市長を訪れ、感謝を述べた。
放射性物質の累積量が多い飯舘村は、全域が計画的避難区域に指定され、6100人の住民全員が全村避難を余儀なくされた。高崎市は、飯舘村の全村避難を支援するため、5月19日から、職員の派遣を行い、常時7人の派遣職員が飯舘村の職員とともに、全村避難の業務に当たっている。高崎市から飯舘村への職員派遣は7月28日までで、派遣職員数は39人。ペットに関係する仕事や、無人となった村内の防犯パトロールも行っている。
菅野村長は「手が足りず、高崎市の応援がなければ全村避難はできませんでした。本当にありがとうございました。もっと早く高崎市に来ようと思っていましたが、原発の雑務に追われ、今日になってしまいました。市長の志の高さ、市民に応援に対して心からお礼を申し上げたい」と謝意を述べ、住民が感謝の言葉を寄せ書きした大きな旗と、村の地域づくりを綴り4月に発刊した「までいの力」を富岡市長に贈った。
富岡市長は「支援は、高崎市の防災にも生かされ、自分たちのためでもあります。これを機会に交流を深めていきましょう。旗は高崎市役所の1階に飾りたいと思います」と語った。
また、村長は「若い人が村に戻ろうとしないのではないか。土壌の除染は簡単ではありません。土を使わない農業も考えていかなければならないでしょう」と先が見えない状況での住民不安についても言及した。
高崎経済大学附属高校の生徒会の松田惇司君と高橋皐月さんが、6月に行った文化祭での募金や模擬店の売上32万4403円を義援金として、菅野村長に手渡した。村長は「村の高校生のために使わせていただきます。子ども達、保護者に希望を持たせたいです」と礼を述べた。
市長に贈った「までいの力」は、村のスローライフなどをテーマに1年前から出版を計画していたルポルタージュで、「までい」は、飯舘村の方言で丁寧に、つつましくといった意味。飯舘村は「日本で最も美しい村」連合にも加盟している。菅野村長は「発刊の時期に大地震が起こり、本を出そうかどうか悩みました。村を知っていただき、村をつぶしてもいいのかと、全国へのメッセージになります」と話している。高崎市職員の現地での職員の様子については「電話の応対で、言葉がわからず困っていたようでした。言葉を覚えた頃に派遣期間が終わると、皆で大笑いをしました」と笑顔を見せていた。