151年前の遣米使節ゆかりの曲を新発見/小栗まつり
(2011年5月23日)
村上住職と群馬マンドリン楽団
元倉渕中ALTのマイケルさんが楽譜を発見
高崎ゆかりの幕末の偉人、小栗上野介公を偲ぶ「小栗まつり」が22日に倉渕小体育館と小栗公が眠る東善寺で行われた。あいにくの雨模様となったが、倉渕小では群馬マンドリン楽団のコンサートと村上泰賢・東善寺住職の講演会、東善寺では小栗公の墓前祭と地域の物産を販売する昼市が開催された。
小栗公は、幕府の遣米使節として渡米し、世界一周して帰国後、横須賀造船所の建設など日本の近代化に大きな業績を残した。幕府崩壊後、領地の権田村(倉渕町)に移り住んだが、官軍に無実の罪で捕らえられ、水沼河原で斬首された。
今年の小栗まつりでは、遣米使節団に同行した少年通訳見習い・立石斧次郎(たていしおのじろう)をテーマに当時のアメリカで作曲された「ジャパニーズ・ギャロップ」と「トゥルー・ブルー・ポルカ」が日本で初演奏された。
好奇心旺盛で積極的な斧次郎は、渡米中にアメリカ人女性に人気となり、「トミーポルカ」という曲まで作られるほどだった。また斧次郎は箕輪城主・長野氏の末裔で、後年は長野姓を名乗っている。
今回の小栗まつりで、初演奏された2曲は、倉渕中でALTを務め、現在ウィスコンシン州のマルケット大学准教授のマイケル・ワートさんがアメリカで発見し、3月に東善寺の村上泰賢住職に知らせた。楽譜の表紙には、トミーの絵が入っている。マイケルさんは、倉渕中のALT時代にボランティアスタッフとして小栗まつりに参加したことをきっかけに、小栗公に興味を持った。帰国後、小栗公の研究で博士号を取得し、現在、大学で日本文化を教えている。今回は、マイケルさんが発見した楽譜をもとにマンドリン合奏曲に編曲した作品が演奏された。