「片岡郡」刻書された土器が出土/八幡町・六枚遺跡
(2011年2月14日)
古代片岡郡域で郡名を記した資料は初めて
高崎市教育委員会は、10日に、八幡町の六枚遺跡から、片岡郡(岡の文字は?・止)と刻書された須恵器が出土したことを発表した。六枚遺跡は平成22年4月から5月に宅地造成のために調査され、出土資料の洗浄、接合作業の過程で文字を確認した。
古代片岡郡は、現在の南八幡地域から豊岡・八幡地域に及ぶエリアで、郡名を記した資料が地域内で見つかったのは今回が初めて。片岡郡の郡名を記した地域資料としては多胡碑と今回の出土品の2例だけの貴重な発見となる。
この遺跡は観音塚古墳の近くで、この地域に片岡郡の郡衙(ぐんが=郡役所)があったことを示す有力な資料になる。出土地は、片岡郡若田郷の推定地で、同古墳が築かれた古墳時代後期(6世紀末)から相当の勢力地であった。
出土品は、直径35センチほどのカメの一部で、9世紀代の竪穴式住居跡から見つかった。同住居跡が廃棄され、埋没する途中で流入したものと見られる。この住居跡の一部を壊して9世紀後半に住居がつくられていることから、8世紀から9世紀(奈良時代から平安時代前期)に、この土器がつくられたと考えられる。
土器に郡名を単独表記した資料は県内初で、瓦に緑野郡の表記した例があるだけ。全国的にも例が少ない。片岡郡の文字が多胡碑と同じ表記で、同時代の文字資料としても貴重だ。書体は端正な楷書体で、県内出土の文字資料の中でも優れている。文字を入れたのは当時の地方役人や渡来系人物など知識層であった可能性があり、文字能力の高さが推察される。
この土器は、郡名を刻んで特別に焼かせたもので郡役所で用いられる公用の器物であったと考えられる。当時の須恵器窯は、安中市秋間、高崎市観音山丘陵、吉井町、藤岡市にあり、この土器の成分から藤岡市以外の窯で焼かれたものと考えられる。
高崎市教育委員会では、「片岡郡の郡域から出土した意義は大きい。郡衙がこの地域にあったことを示す有力な資料」と話している。
この土器は、3月6日(日)に群馬音楽センターで行われる「多胡郡建郡1300年シンポジウム」の会場に展示し、一般公開されます。