三碑の意義/地域の視点から新たな見解みいだそう
(2011年3月6日)
多胡郡建郡1300年記念事業「多胡碑は何を伝えようとしたのか」
多胡郡建郡1300年記念事業「多胡碑は何を伝えようとしたのか」が、6日に群馬音楽センターで開催された。市民の関心も高く、歴史研究のグループなども多く参加し、1500人が来場した。
土生田純之氏(専修大学教授)、平川南氏(国立歴史民俗博物館館長)、亀田修一氏(岡山理科大学教授)、右島和夫氏(群馬県文化財保護審議会委員)の講演と四氏によるシンポジウムが行われ、多胡碑が建立された歴史的な背景や、アジアとのつながりなど幅広い視点から議論が行われた。
9世紀前半までに建てられた石碑は17基が現存し、その中で上野三碑として、山ノ上碑、金井沢碑、多胡碑が高崎市に所在している意義や、古墳時代からの当地の豪族と中央との関係、渡来人が伝えた文化などについて検証が行われた。
多胡碑の文字が他の碑に比べて大きいことや碑文の内容から、多胡郡の建郡を申請した人物「羊」を顕彰し、人々に伝えるために建てられたのではないかと言及された。多胡の名について、「単に胡人(渡来人)が多かったことを意味するだけでなく、新羅、百済など多様な出自の人々が、この地で生活していたことも念頭に置かなければならない。西毛地域は5世紀以降、国際社会だった」と指摘された。
シンポジウムでは「地域の歴史に誇りを持ち、上野三碑を研究することで新しい輝きが増してくる。三碑には地域の人々の気持ちが溢れている。大切に研究を続けてほしい」などと意見が出された
あいさつの中で、松浦市長は「高崎市の歴史遺産の魅力を大勢に人に知ってほしい」、中島教育長は「多胡郡の郡衙(=ぐんが・役所)がどこにあるか、計画的に調査したい」と述べた。