箕輪城の城門復元へ
(2013年6月11日)
戦国時代の城門復元で最大級に
高崎市教育委員会は、「国指定史跡・箕輪城」の城門を井伊直政(いい・なおまさ)が城主をつとめた戦国時代末期の姿に復元する計画を5日に発表した。
高崎市教育委員会は、「国指定史跡・箕輪城」の城門を井伊直政(いい・なおまさ)が城主をつとめた戦国時代末期の姿に復元する計画を5日に発表した。
「郭馬出西虎口門」は、幅5・7m、高さ6・3mの2階建て櫓門(やぐらもん)。戦国時代の関東地方の城郭として、規模が確認されているものでは最大級。南側から登城する3本の道がこの門に集約されるため、防御上極めて重要だった。徳川家康の家臣として最も石高の高い12万石の領地を与えられた井伊直政の城にふさわしい荘厳な城門となっている。平成14年度の調査で礎石8個が全て残っていることが確認された。
「本丸西虎口門」は幅3・1m、奥行き1・7m、高さ3・9mの高麗門(こうらいもん)。箕輪城本丸の城門で、三の丸方向に深堀を渡る木造橋が接続している。平成15、16年度の発掘調査で4個の礎石全て残っていることが確認された。
国指定史跡における建造物の復元は、根拠が明らかになっていないと文化庁の許可がおりず、現存する文献が少ない戦国時代の城郭では、復元が難しいという。門の礎石が全て残っていたため、全国の現存する城門や城絵図面を分析し上部構造を考証した。
今回の復元は、国史跡の戦国時代の城門として6例目、「郭馬出西虎口門」は、その中で最大級の復元になるという。