多胡碑周辺調査を継続
(2012年7月6日)
多胡郡衙の発見をめざす
高崎市は、県の道路整備に伴い、多胡碑周辺の発掘調を今年1月から3月まで行った。多胡碑に刻まれた多胡郡は、古代東国の要衝の地として栄え、多胡郡衙(ぐんが=役所)など郡の重要な機関が置かれていたことがこれまでの研究で指摘されている。しかし、多胡郡衙場所を確定するまでには至っておらず、多胡碑周辺が有力視されている。発掘調査は、旧吉井町から多胡碑周辺発掘調査を高崎市が引き継ぎ、第五次総合計画主要事業の一つに位置づけられている。
3月まで発掘調査が行われた場所は、郡衙想定場所のやや西にあたっていた。調査結果は、幅3m長さ20、30mのトレンチ(溝状の調査区)を11カ所にわたって掘り、930㎡の調査を行った。多胡碑以前の古墳時代後期の古墳、平安時代の竪穴住居集落跡が確認され、多胡碑に関わる時代の遺構は確認されなかったものの、瓦や古代レンガの破片など一般集落からはあまり発見されない遺物もみつかっている。発掘調査現場には、多くの見学者が訪れ、関心の高さを示していた。
多胡郡衙が発見されれば、建郡の文字資料と遺跡が一致する全国初の事例となる。郡衙の構造や配置が文書と直接比較検討ができるという。
富岡市長は「多胡郡衙の位置を抑えることは多胡碑の史跡としての価値が高まり、本市の文化財行政にとって重要な調査と認識している。観光政策の観点からも貴重であり、調査事業の推進を適切にはかっていきたい」と事業継続の考えを示した。
高崎市は、毎年1000㎡ずつ5年をかけて調査する計画を示している。