中曽根元首相を名誉市民顕彰
(2012年11月14日)
ふるさと高崎が私の原点
14日(水)に高崎市役所で、中曽根元首相に高崎市名誉市民を贈り、顕彰式が行われた。
高崎市名誉市民は、平成7年の故・福田赳夫・元首相に続く2人目。
富岡市長は、7日に逝去された中曽根元首相夫人・蔦子さんを悼むとともに、元首相が顕彰式に出席されたことに感謝を述べた。
式で富岡市長は「中曽根先生の偉大な功績の数々は、高崎市民の誇りであり、本市が今日まで着実な発展を続けてきたのも中曽根先生の多大なご尽力のおかげであり、高崎市民が等しく感謝とお礼の気持ちを共有しているところです。どうか健康にご留意され、これからも高崎市、日本、さらには世界の更なる発展のためにご尽力を賜りますようお願い申し上げます」とあいさつした。
中曽根元首相は「北小学校の校庭にそびえ立つエノキの木の記憶、浅間山に沈む夕陽と、その夕陽に染め上げられ厳然と座っている上毛三山は私の原点。政治の道に邁進し、94歳の今日まで働くことができるのは、ひとえに、ふるさと高崎の皆様のご支援と人情のおかげでなし得たものです。全身全霊をもって、国家国民、郷土のため、一層の精進、努力に努め、本日の栄誉に恥じぬよう、天命を尽くしてご恩返しをいたす所存です」と喜びを語った。
高崎市役所では、中曽根元首相の母校・北小学校マーチングバンドが出迎え、中曽根元首相は、目を細めて演奏に聞き入り、子どもたちに手をふってこたえていた。市役所ロビーでは、市民、職員など600人が、中曽根元首相に拍手を送り功績を讃えた。
中曽根康弘元首相・名誉市民顕彰式挨拶
このたびは、高崎市名誉市民の身に余る栄誉をいただき、言葉では言い尽くされない感激と感謝の極みであります。この高崎の地に生まれ、育てられた者として、高崎市と市民の皆様のご温情に対し、心から御礼を申し上げます。ありがとうございます。
上毛三山を望む山紫水明なるこの高崎の地に生を受け、烏川に遊び、父母の愛情のもと、良き恩師、良き友に恵まれたことの幸せ、そして皆様のご縁につながれながら歩んだ自らの政治人生を顧みますれば、その感慨は、まことにありがたさに満ち溢れたものであります。
幼き頃の北小学校の校庭にそびえ立つエノキの木の記憶と、頭をなでられながら、先生からかけてもらった言葉の、今日まで続く不思議な感動。日々の生活の中で、父母の所作とともに、我が家に出入りする人々から学んだ人間としての修練。家の屋根の上の物干し台に登っては、浅間山の肩に暮れなずむ真っ赤な夕陽が沈む感動や、その夕陽に染め上げられて、厳然と座っている上毛三山をみつめ、郷土の天地大自然からの厳粛な教えにも似た、自然の神秘に感化された幼き日々。それら全てが、このふるさとから授かった私の原点であります。
その後、自らの天職と定めた政治の道に邁進し、国家と郷土に奉仕する機会をいただき、94歳の今日まで、引き続き働くことができますことは、これひとえに、ふるさと高崎の皆様のご支援と、郷里の人情と教育のおかげをもって、なし得たものであり、上州の天地人と神仏への感謝は、我が心にしみ入るありがたさであります。
市民の皆様のご恩顧無くして、私の人生はありません。
私にとりまして、もう一つの原点は青雲塾であります。敗戦直後の荒廃した祖国の復興をめざし、多くの同士らと運動を展開した青雲塾の出発点も、ここ高崎にあります。祖国復興をめざし、坂の向こうにある青雲めがけて懸命に駆け上がった、あの気力は、今も私の体の中で生き続けております。現在の日本を取り巻く状況や困難を考えれば、この気概とともに全身全霊をもって、国家国民、郷土のため、一層の精進、努力に努め、本日の栄誉に恥じぬよう、天命を尽くしてご恩返しをいたす所存であります。
市政におかれましては、時代の変化に伴い、新たな課題も山積し、財政の厳しさとともに、その運営のご労苦も大変なことと拝察いたします。市長さんを先頭に、議会の皆様、職員の皆様一丸となって、市の発展に努めておられることに深く敬意と感謝を表しますともに、明日の高崎のために、心豊かで活力に溢れる市政の実現を心から念願してやみません。
あらためて、市御当局、市議会の皆様、市民の皆様に謹んで感謝を申し上げ、高崎市政の今後益々のご発展、ご繁栄を祈念し、御礼の言葉といたします。誠にありがとうございました。(編集部まとめ)