“群馬の名物だ”と叫ぼう。/これを読んだら、あなたも「焼きまんじゅう」博士
(2009年8月)
群馬のお祭りでは定番の焼きまんじゅう
上州名物の「焼きまんじゅう」。お祭りやイベントで焼きまんじゅうはお馴染みの存在だ。日本全国にこの焼きまんじゅうがあると思われているかもしれないが、焼きまんじゅう文化圏はほぼ群馬に限られている。皆さんが名物と思っているか否かはともかく、群馬にしかないのだから、れっきとした名物なのである。
では群馬土産に焼きまんじゅうを贈る人は多いだろうか。県外からのお客に名物として振る舞っているだろうか。名物と言うからには、地元の人たちが縁日だけでなく、普段からもっともっと食べて愛そう。そして全国に向かって叫ぼう「どうだ、旨いだろう!」。
●パン? まんじゅう?不思議な食物「焼きまんじゅう」
焼きまんじゅうを初めて見た県外の人は、味噌ダレを塗って焼いたまんじゅうの風貌に違和感を感じ、ひとくち食べると怪訝そうな顔をする。「これ、まんじゅう?パンじゃないの?」本誌の会員読者に焼きまんじゅうを説明する必要はないだろうが、そばと焼きそばが違うように「まんじゅう」と「焼きまんじゅう」は、形が似ているだけで違う種類の食べ物だ。
焼きまんじゅうは、家庭で作られることはなく、群馬固有のイベント食文化である。祭りや縁日などの露店や屋台で買うことが多く、焼くにもかかわらず季節感は夏。かき氷やラムネ、ところ天などの涼味と合う。
スタンダードな焼きまんじゅうは、直径7、8センチほどで串に四個。味噌ダレがたっぷりと塗られ、焼きたてアツアツだ。露店では串でそのまま手渡される。使い捨て小皿にのせてくれることもあるが、何にせよ、焼きまんじゅうは上品に食べるのが難しい。大きな口を開けてかじりつくが、なかなかひとくち分を噛み切れない。無理に一個まるごとほおばると、飲み込むまでに大人の男性でも目をシロクロさせて、かなり大変な思いをする。子どもに食べさせようものなら、顔、手はもとより、服のあちこちも味噌ダレが付いてしまう。串から抜いて、割り箸で小分けしながら食べるのは邪道である。年頃の女の子は、人前で食べるのにちょっと抵抗感があるという。それでもやっぱり食べたいのが上州人の血である。
露店から味噌ダレが焦げる香ばしさが漂ってくると、子どもの頃の郷愁に誘われる。口の周りに味噌ダレを付けながらかじりついた焼きまんじゅうの原風景、原体験が、父母に手を引かれて出かけたお祭りや幼なじみの顔とともによみがえる。焼きまんじゅうは、上州人のソウルフードと言えるだろう。
●焼きまんじゅうを御当地名物に/「発祥の地」論争に高崎は出遅れ?
群馬県立歴史博物館の横田雅博さんに焼きまんじゅうの歴史をひもといてもらうと、発祥は江戸末期にさかのぼる。
前橋市の原嶋屋総本店では、安政4(1857)年に初代原嶋類蔵が焼きまんじゅうを作り出したと伝えられている。原嶋屋は、群馬の焼きまんじゅうの代表格。皇室もご来県の際には召し上がることがあり、おいしかったとほめていただいたエピソードもある。
沼田市の東見屋饅頭店は文政8(1825)年の創業で、伊勢崎市では田中屋が江戸末期、大甘堂が明治13(1880)年の創業と伝えられている。
伊勢崎市では、ギネスに挑戦する世界一長い焼きまんじゅうで話題作りをはかった。沼田市も焼きまんじゅうの元祖を名乗り、商業イベントに取り入れている。
高崎では、焼きまんじゅうに関する古い文献や伝承は残念ながら見あたらない。市内では「前沢商店(屋号は前沢屋)」(下里見町)が老舗の一つで、現店主の大塚廣さんは、父友吉さんが大正15年か昭和元年に並榎町で店を出したことを記憶している。友吉さんは渋川市の「前沢屋」で修業して、のれんを分けてもらったという。「前沢屋」は、住吉町で長く商い、現在は下里見町の工場で製造卸を中心に行っている。桐生市の「前沢屋」も同じく渋川の「前沢屋」からのれん分けしたので兄弟弟子にあたる。のれん分けした当時は、高崎にも桐生にも焼きまんじゅう店はなかったそうだ。現在、渋川市の「前沢屋」は残っていない。
焼きまんじゅう店「田舎や」(菊地町)の井上誠さんも二代目で、父五郎さんも渋川で修業をしたそうだ。「発祥はどうも高崎ではなさそうです。これで高崎に古い資料が見つかれば面白いことになるでしょうね」と井上さんは笑う。
今のところ本家争いに高崎が入っていくことは難しそうだが、焼きまんじゅうブランドとして名乗りを上げていく価値は十分にある。
●現在は重曹、イースト、麹の3種類/ルーツは農家の酒まんじゅう
焼く前の白いまんじゅうを“すまんじゅう”と言い、作り方は酒まんじゅうに良く似ている。歴史博物館の横田さんは、焼きまんじゅうもうどんと同様に、群馬特産の麦を原料とする粉食文化の一つとして考えている。群馬の農村では、おきりこみと同様に、古くから酒まんじゅうが作られていた。現在はまんじゅうをふくらませるのに、重曹、イースト菌、麹の3種類を主に使用するが、重曹やイースト菌が普及する前は、甘酒や麹を発酵させてまんじゅうをふくらませていた。
横田さんはこの酒まんじゅうが、焼き饅頭のルーツに関係しているだろうと言う。酒まんじゅうはすぐに固くなる。固くなった酒まんじゅうを焼き直して食べたり、味付けの工夫として味噌を塗るなどの知恵が焼きまんじゅうとつながってくる。
確かに「田舎や」の井上さんは、“すまんじゅう”にイーストと麹を使っており、工場の一角で米麹を発酵させている。「前沢屋」の大塚さんも以前は前日に麹を仕込んで使っていたという。“すまんじゅう”の製法は製造者ごとに秘伝があるが、麹を発酵させている点がほぼ共通している。焼きまんじゅうには、酒まんじゅうの味とふっくら感が重要なポイントになりそうだ。
井上さんは、この“すまんじゅう”に各店の特徴が良く現れていると話す。一口、口に入れたならどの店のまんじゅうか判別できるそうだ。
農家では、ふくらませない「おやき」、「やきもち」が普段の副食。ふくらませる「まんじゅう」は特別な行事の時に作った。まんじゅうには、特別な日の食べ物という気持ちが込められているそうだ。焼きまんじゅうもこの流れを汲み、祭りや縁日の中へと浸透していったのだろうか。
●簡単に誰でもできる!イベント・学園祭に引っ張りだこ
高崎市内で焼きまんじゅうを焼いて店売りしているのは14店ほどあるが、自家製造しているのは「前沢屋」、「田舎や」を含め4軒で、他店にも卸している。前沢屋は都内の露天商へも出荷している。県内でも自家製造の店は限られ、焼きまんじゅう店や数多い露店商の卸元となっている。上州名物焼きまんじゅうの味は、この何軒かが実質的に握っている。味噌ダレの味も店ごとに微妙に違う。県北部はややしょっぱい系と井上さんは言う。
焼きまんじゅうは、食材の扱いやすさもあって露天商を中心に広がった。近年では、イベントや学園祭での需要も多くなっている。「田舎や」はコンロなど道具のレンタルも行い、県内高校・大学の学園祭で大きなシェアを持っている。焼き方マニュアルを作成し、道具を受け取りに来た際に、簡単な講習を行っていて評判がいい。
ホームページを開設してから都内の大学からの引き合いも増えている。これまでの実績でも名だたる大学が連なっている。学内の群馬県人が集まって出店することもある。「焼きそば、たこやきがマンネリ化して、県外では焼きまんじゅうの珍しさが、出身者にとっては懐かしさが当たっているではないか」と井上さんは言う。初めての人でも少し慣れれば、焼き方に大きな失敗は無い。学園祭期間に何本売れるかわからず、初めの発注本数は控えめだが、完売し、追加されることが多い。平均で300本から400本。「がんばれば500本は売れるでしょう」と井上さん。道具のレンタルは一式3、000円。遠方の場合は食材だけ送り、コンロはバーベキューセットなどで代用してもらう。販売価格は、県内の焼きまんじゅう店が一本150円、露店が200円、都内では300円でも売れるそうだ。学園祭の催事としては、なかなかの稼ぎになる。
焼きまんじゅうは、コンロで焼いて売るパフォーマンスが何よりも大事だと、井上さんは考えている。味噌ダレが焦げる香りが客を呼び売上が伸びる。焼き方は、「コゲを入れた方がおいしい」と井上さんは力説する。外はパリッ、中はフカフカの食感が理想だ。しっかり焼くと冷えてもおいしいそうだ。ところが「コゲを食べると云々」と言う風評を気にする人が増え、最近は、あまり焦がさないことが多い。「コゲが旨いんですけどね」と残念そうだ。
●県外では不人気!群馬名物として全国行脚
「前沢屋」の大塚さんの記憶をたどると、上州名物の焼きまんじゅうを全国に広めようという動きが昭和40年代後半すでにあったらしい。物産展を全国のデパートで開き、焼きまんじゅうの実演販売に北海道から九州まで行脚した。群馬の食べ物を県外で見ることが少ないと故福田赳夫元首相がアイデアを出し、群馬県も本腰を入れていたと大塚さんは記憶している。
当時デパート内では、炭火を使うことができず、ガスや電気など場所ごとに熱源が変わるので苦労した。電気コンロが大きくて重かったため、大塚さんの工夫で小型軽量化し、ステンレス製の見栄えの良いものを特注したという。
一箇所で一週間から十日販売し、自動車に道具を積んで次の町に移動する。売上はまあまあだったが全く売れなかったのが京都。「何?これ!」と驚きの顔をされた。おおざっぱな物は敬遠される京都では受け入れられなかったようだ。京都は極端な例としても、県外では焼きまんじゅうは売れないという露天商の話を、県立博物館の横田さんも聞いている。
●もったいない!上州だけの焼きまんじゅう
群馬同様、小麦生産が盛んなお隣の埼玉県や栃木県でも焼きまんじゅうに類似した食文化があり、群馬の焼きまんじゅうが波及してもよさそうなものだが、不思議なことに県境を出ることはなかった。味噌も古くから生活に密着してきた調味料で、群馬に焼きまんじゅうが浸透していく要因の一つではないかと、横田さんは考えている。
群馬の焼きまんじゅうは、専門店、露天商、スーパー、移動販売車など多様な形態に発展している。しかし焼きまんじゅうそのものは、餡入りのバリエーションがあるだけで、本質的には全く変化していない。味噌ダレを貫く硬派な頑固者である。今川焼のように洋風のチョコレートやクリーム風味もない。
群馬以外では、埼玉県の飯能市に焼きまんじゅうを食べさせる店が一軒あるが、同店固有の商品。土着の生活文化に染みついた我々の焼きまんじゅうとは趣を異にしている。
焼きまんじゅうは、焼いたその場で食べないと、あの味わいは伝わらない。お土産にしても冷えると風味が格段に落ちる。今でこそラップで厳重に包装できるが、竹皮やへぎ、紙でくるんだ時代では、味噌ダレが染み出てベタベタするのは避けられない。遠方へのお土産になりにくかったのが焼きまんじゅうの弱点で、エリアが広がらなかった理由の一つではないだろうか。
群馬県人が愛する焼きまんじゅう。群馬でしか食べられないオリジナリティ、観光や集客につながる発信力もある。焼きまんじゅうを群馬に食べに来て欲しい、香ばしい煙の中で一度口にして欲しい。今まで焼きまんじゅうの魅力を見過ごしていたことを反省し、この香ばしさを全国に伝えていこう。
(文責/菅田明則・新井重雄)
高崎商工会議所 『商工たかさき』2009年8月号