須藤 いま子
すとう いまこ(1913〜1990)
女子教育にかけた夢を生きて高崎初の女子短期大学を創立
須藤 いま子
服装技術教育者の道をめざして
今日の高崎健康福祉大学は、昭和11年に須藤いま子が、高崎市嘉多町に創設した「須藤和洋裁学院」を起源としています。
須藤いま子は、大正2年8月11日に、安中市小間で田畑・山林を所有する農家に、兄弟三人、姉妹二人の次女として生まれました。6歳の時に胸椎結核・流注膿瘍にかかり、3年にわたる闘病生活を余儀なくされました。祖母と両親の必死の看護と手厚い治療により奇跡的に回復し、退院後は通常の生活ができるようになりました。
体に障害を持ったいま子は、思春期にさしかかり、どのように生きていけばよいか真剣に考え、女性としての器用さを生かしながら社会に貢献し、将来自立するための服装技術教育者への道を選択しました。
両親をはじめ周囲の大反対を押し切って上京し、東京技芸専門学校に入学。そこで生涯の師というべき、二人の恩師に出会いました。一人は良妻賢母教育で知られる大妻女子大の創始者大妻コタカ。もう一人は服飾アカデミーの中野寿美で、モダンで酒やタバコもたしなんだ近代女性。二人から日本女性の素晴らしさと、おしゃれセンスを学び取りました。
昭和11年、弱冠23歳のいま子は、高崎市嘉多町に「須藤和洋裁学院」を設立。「服装の専門的知識と技術を授けるとともに、女性の教養を高め、服装文化の改善と女性の地位を向上する」ことを設立趣旨としました。
高校進学率の上昇を受け女子短大設立計画を推進
須藤和洋裁学院・田町旧校舎
二・二六事件、日華事変、国家総動員法、太平洋戦争へと国情が悪化する中、昭和18年に群馬県戦時服装指導協会が結成され、同学院は指定校として認定を受けました。「開学八年間の努力の成果」と、いま子には一つの評価を得た思いでした。戦後の昭和24年2月、学校基本法に基づき群馬県知事より「私立須藤和洋裁女学院」として新たに認可を受けました。生徒数増加のため昭和29年に、高崎市田町に当時としては画期的な3階建て新校舎を建築。「須藤高等技芸高校」と改称し、充実期を迎えました。
昭和37年、群馬県の高校進学率が60%を超えると、いま子は宿願だった女子短期大学設立計画を進めます。周囲の反対をことごとく説得し、全生命と情熱を傾けて推進。そして、中大類町に大学校地(16,500平方メートル)を確保し、昭和40年に鉄筋コンクリート3階建て校舎が完成。昭和41年についに群馬女子短期大学設置の認可が文部省より裁定され、念願を果たしました。
女子教育にかけた半世紀
昭和41年4月、群馬女子短期大学は家政科90余名の学生を迎えて開学、43年には附属高等学校、49年には地域の要請に応え幼稚園を併設。学生、生徒、園児の数が2,800名に及ぶ大規模校となりました。
いま子は、教育方針として「感謝・奉仕・融和」を掲げ、「教育の三要素は、知育、徳育、体育です。本学は開学以来、徳育と体育を知育に劣ることなく重視し、その実践に力を注いできました」と、調和のある人格形成を目的とした全人教育への取り組みを強調。そして「文武両道」を標榜し、スポーツで全国レベルの実績を残すまでになりました。
「私はこの50年間、女子教育ひと筋に打ち込んでまいりました。これからもそのひと筋の道を至誠一貫の心として歩み続ける決意でございます」。昭和60年、『創立五十周年記念誌』にこの言葉を記し、5年後の平成2年8月、女子教育にかけた77年の生涯を閉じました。
高崎健康福祉大学として新たな躍進の道へ
胸像が建ついま子記念館
群馬女子短期大学(学校法人群馬女子学園)を前身とした高崎健康福祉大学は、平成13年に4年制大学として開学。
「群馬女子短期大学が文部省から認可を受けるまで、いま子先生は日夜東奔西走し生みの苦しみを味わったと聞きました。大学を創るのは大変な難事業。それを女性の身でやり遂げるのは並大抵のことではありません」と話す須藤賢一理事長兼学長。須藤いま子の甥にあたり、いま子の遺志を受けて、平成3年に農林水産省の研究機関を辞して学園に赴むき、数々の改革に取り組んできました。
平成17年には大学院を、平成18年に薬学部と看護学部を、平成22年には理学療法学科の設置を機に看護学科との2学科からなる保健医療学部を開設し、健康福祉学部医療情報学科、社会福祉学科、健康栄養学科と併せて3学部6学科としました。そして平成24年度には短大部を改組して新たな学部、人間発達学部子ども教育学科がスタートします。
「将来も安定的に教育が持続できるよう変革は必要。いま子先生が築いてこられた基盤があってこそできることです」。須藤賢一氏は、創立者への敬意と感謝の念を抱きながら、医療福祉分野で存在感ある大学づくりに取り組んでいます。
※参考文献/須藤いま子回想録「夢を生きて」、学校法人高崎健康福祉大学創立七十周年記念誌等