たかさき町知るべ:元紺屋町(もとこうやまち)

たかさき町知るべ:元紺屋町(もとこうやまち)

 高崎旧城下の職人町の一つで、旧市街地のやや東に位置する町である。北から西は田町、南は白銀町、東は北通町となっている。


 「元紺屋」の名は、箕輪城下で紺屋職人の長をしていた宇佐見氏が、高崎移城にともなってこの町に移住し、同様に藩から紺屋支配を命じられたことによる。古くは「本紺屋(もとこんや)」と表記されていた。延享年中(一七四四~四七)に町名主が交代したが、新名主も紺屋の司となった。古くは中、新紺屋町とも一つの「紺屋町」であった。


 町内には浄土宗の法道山弘真院善念寺がある。本尊は鎌倉期の阿弥陀如来像で、市の重要文化財に指定されている。この寺は、和田宿時代からの寺であり、本堂脇から裏の墓地内には、江戸の幕府公許、秤座の出店を継いだ荒木家の墓などがある。また、明治になって、この寺には高崎の連合戸長役場が置かれていた。これは市役所の前身である。


 この町と東隣の北通町の間を南北に通る道は、わずかの期間であったが、初期の中山道であった通りで、染物店や漬物店などがあって、往時の面影を残している。


 「紺屋」は「そめものや」で普通名詞であり、町の名としても全国的に数多い町名である。県内では、伊勢崎、館林にその名が残り、前橋にもかつてあった。また、甘楽郡に「向屋村(こうや)」、多野郡上野村に「向屋」がある。


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