高崎新風土記「私の心の風景」
81. 映画館の立看板
吉永哲郎
市内に10箇所近くの映画館があった頃、人の目につく街角に、その週の映画のポスターが沢山貼られていました。今は特別興行の時しか映画の立て看板を見かけなくなりました。
先日、聖石橋への坂道を散歩している時、昔の映画館の立て看板を見つけました。その一つにどこにあったかは思い出せませんが、懐かしい映画館の名がありました。
ふと、半世紀前にこの看板を横目でみながら、高校へ通学した頃を思い出しました。風雨にさらされ、色あせた板だけの看板に、東大寺の大仏殿の甍の上に、月がある風景のポスターが貼ってあったと、鮮明に思い浮かびました。
女優の田中絹代が初めて監督した「月は上りぬ」という映画のポスターです。あの頃、この題名の「上り」の読み方について「ノボリ」か「アガリ」かをめぐって、友人と登校途中論じたことがありました。
受験勉強が中心の今の高校生からは、くだらないことだと一蹴されそうですが、「ぬ」という完了の動詞を学習したばかりで、その助動詞の意味をとらえながらの論争で、かなり高度な文法論議だったと思います。生意気な高校生でした。
この映画の主演は安井昌二と北原三枝(故石原裕次郎夫人)で、手を握ることも愛の告白もできない古風な恋と現代風な恋を古都奈良と東京との長距離恋愛をからませたさわやかなストーリーでした。
印象に残っているのは、万葉集の歌番号の数字のみの電報で求婚する場面。これこそ世界で一番短いラブレターだと思います。今すぐにでも廃棄されそうなこのボロボロな立て看板は、私の青春の記念碑だと、いとおしく感じました。
(高崎商工会議所『商工たかさき』2010年12月号)
- [次のコラム:82. 枯野見]
- [前のコラム:80. 里山装うころ]