高崎新風土記「私の心の風景」
80. 里山装うころ
吉永哲郎
四季折々に里山の表情は変わり、その移りゆく姿を「装う」といいます。春は花がいっせいに咲き競いますので「笑う」、夏は木々の緑が深くなってゆくのを「滴(したた)る」、枯れ木が静かにたたずむ冬は「眠る」といい、特に色彩ゆたかに彩られる紅葉の秋を「装う」と表現します。
高崎は身近に里山がありますので、自然の移りを日常的に目にすることができます。時折里山を訪れますが、特に秋は清水寺の石段をのぼりつめて、本堂前を左へ向かって歩くコースを常としています。それはフランスのブルゴーニュの丘の上の町ヴェズレーを思い出すからです。
ヴェズレーは聖ヤコブの聖地、スペインのコンポンステラのサンチャゴ大聖堂を目指す巡礼の出発地であった中世の町です。丘の上には聖女マグダラのマリアゆかりのサント・マドレーヌ教会があり、この坂の町で息をひきとったロマン・ロランが、毎日欠かさず通った丘の上の本屋さん(今は観光客相手の土産屋)があります。教会の裏はマロニエの大樹が多く繁り、そこから果てしなく広がるブルゴーニュの田園風景が見渡せました。ぼんやりしていますと、突然、頭にコツンと何かが落ちてきました。振り返りますと、かわいい子どもたちが、風に吹かれて落ちるマロニエの大な実を先を争って拾っていました。
さて、清水寺本堂前を左に歩きますと東屋があり、そのコナラ林を歩いていますと、時折コナラの実が落ちてきます。ここを「私のヴェズレーの丘」と名付けています。「里山装うころ」になりますと、つい足が向いてしまうのです。
(高崎商工会議所『商工たかさき』2010年11月号)
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