映画のある風景
幻の映画が誕生した場所
志尾 睦子
今月末から第26回高崎映画祭が始まる。「映画のまち・高崎」という言葉を生んだ一つである自負はあり、毎年春を迎えるごとに気の引き締まる想いがする。高崎に縁のある作品の上映をいつも意識しているのだけれど、今年の上映作品の中にひと際思い入れの深いものがある。
昨年お亡くなりになった名優原田芳雄さんの追悼特集で6作品を上映するのだが、その中の一作に原田さん主演で撮られた阪本順治監督による短編『新世界』がある。実はこれは世に出回らない幻の映画で過去10年間で数度しか上映されていない。この作品は平成13年に開催された国民文化祭inぐんまの企画で製作されている。
日本では映画の権利はメガホンを取った監督にはない。製作会社や映画配給会社のものという取扱になり、そうした状況を監督たちは憂いている部分がある。そこで、短編とは言え、映画の全ての権利を監督に委ねる映画を作ろうという企画が国民文化祭の「映画ブラボー!映像の時代」において持ち上がった。
高崎映画祭とこのシンポジウム企画に協力してくれた東京の映画美学校との共同出資で、阪本順治監督、黒沢清監督、青山真治監督にそれぞれ映画製作が依頼された。テーマも自由で完成した後の上映権利はすべて監督に委ねるというのはそれほどある話ではなかった。それをやろうといった高崎企画の気概は映画人の心を強く刺激したようだった。マスターテープは監督の手元に、そして上映素材のテープは高崎映画祭事務局の所蔵ということになった。
さて、2001年の11月に行われた国民文化祭の映像部門の会場は高崎シティギャラリーだった。映画上映やワークショップなど様々に開催され、特にシンポジウムが豪華だった。映画評論家の蓮實重彦さんの基調講演から始まり、同じく映画評論家の山根貞男さん、俳優の大杉漣さん、短編を製作した黒沢清監督、阪本順治監督らがコアホールの壇上に集結した。
その他にも映画業界では一目おかれる面々がこぞって集まっていた。関係者誰もが、高崎企画で生まれた短編の上映をとても楽しみにしていたことが強く印象に残っている。大げさではなく記念すべき映画がこの時誕生し、その上映がコアホールで行われたのである。もっとも、私がそうした当時の事の重大さに気が付いたのは随分とたってからなのだが。
大切な映画だからむやみに上映はできない。そう感じて10年が経った。今年その1作を上映する。私も客席に座って心して観たいと思う。
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