映画のある風景
柱に刷り込まれた記憶
志尾 睦子
前号に引き続き、もう少し豊田屋さんのお話を。
豊田屋旅館は高崎映画祭とも縁が深い。多くの映画人、文化人が訪れるというのは今現在も受け継がれている。特に若手監督たちには、偉人たちと同じ場所にいることを明日への励みにしてもらえるようにとの思いを込めてご案内する。曳き家と改築によって1階の造りが変わったところもあれど、変わらずその姿をとどめているのが2階の客間。ここで何十人という監督たち映画人たち文化人たちが高崎の地での疲れを癒し、眠りについたことだろうか。そんな話をするたびに若手監督の目もまたキラキラと輝くのだ。
私も豊田屋さんでは数々の映画人たちとの楽しいひと時を過ごさせていただいているけれど、これまで経験した中で一番の衝撃的な出来事がある本につづられている。
ドキュメンタリー作家・森達也監督が2008年に発行した『メメント』(実用之日本社)だ。2003年の第17回高崎映画祭の特集でお呼びした際の事が主に綴られている。森監督には、『職業欄はエスパー』で取材対象となっていた超能力者秋山眞人さんとともにトークをしていただいた。
お二人の宿泊先はもちろん豊田屋さん。その夜はスタッフ交えての宴会が1階の広間で催された。秋山さんも森監督も話題には事欠かない方々で楽しい宴が続いていったが、それが一段階グレードアップしたのは秋山さんの一言だった。トイレから戻られた秋山さんは、『さっきそこに軍人さんがいましたね。とても良い方だった。』とおっしゃって、皆で顔を見合わせたことを覚えている。
由緒正しい旅館であること、誠実に続けてこられている事、とても良いものに守られている事などが秋山さんの口からこぼれていった。それまでなんとなく避けていた、<その手の話>に火がつき、その後『メメント』に記されている驚愕の出来事につながっていく。これはあえて今は伏せておくとして、とにかくすごい出来事に私たちは遭遇することになった。もちろん、とても良いエピソードであることを念のため付け加えておきたい。
そして私はその時、部屋の隅でじっと作家の冷静なまなざしで事の次第をみつめていた森監督の姿を見逃さなかった。
宴も終わり、お二人をお部屋へご案内するとき、今夜彼らはそれぞれの床で何を思うのだろうと思った。また一つの逸話がこの柱の記憶に刷り込まれるんだなと思ったのを覚えている。若手監督たちへの語り草がまた増えた、と考えたことは言うまでもない。
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