ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」

(2011年1月5日)

出演:松浦幸雄・高崎市長/原浩一郎・高崎商工会議所会頭/司会・二居野未来

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」松浦幸雄・高崎市長

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」原浩一郎・高崎商工会議所会頭

「市制110周年」から「中核市移行の年」へ

二居野:新年あけましておめでとうございます。 本日は、「ラジオ高崎新春特別対談」として、松浦幸雄・高崎市長と原浩一郎・高崎商工会議所会頭にお話をうかがっていきます。高崎市は、今年4月には中核市に生まれ変わります。期待がふくらみますね。また、新たなステージへと踏み出す高崎市の取り組みなど、様々なお話をうかがってまいります。

松浦市長:市民のみなさま、あけましておめでとうございます。みなさまには、希望に満ちた新春を健やかにお迎えのことと心からお慶び申し上げます。今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

原会頭:みなさま、あけましておめでとうございます。お揃いで、輝かしい新春をお迎えのこととお慶びを申し上げます。  高崎市はこの4月に中核市に移行いたしまして、新しい時代を迎えます。高崎商工会議所会頭も、高崎市の一層の発展のために新たなる視点で取り組んで参りたいと考えております。

二居野:さて、2011年、平成23年がスタートしました。海外に目を向けても、国内に目を向けても、残念ながら政治経済とも不安定な状況が長く続いています。2011年がこうあってほしいというようなお考えはありますでしょうか。

松浦市長:我が国は、外交的にも経済的にも大変な時代を迎えていると思います。朝鮮半島をめぐる緊張した軍事情勢や中国漁船の尖閣諸島の事件など、我が国の安全と主権を脅かす問題に直面しています。また、米国財政の減速、ユーロ圏の財政問題など世界経済も低迷し、混乱を引き起こしています。  日本経済も、予想を上回る円高や、株安の急速な進展、デフレの進行に加え、厳しい雇用情勢が続き、深刻な経済状況に陥っています。このことは我が国産業の海外移転を加速し、ひいては国内の雇用を減少させる懸念があります。  そして国の財政危機や、ねじれ国会という現状は地方に大きな負担と不安を引き起こし、もはや国は頼れない時代になってきたとも言えます。  地方が本当の意味で自立していかなければ、立ち行かない事態になってしまうという危機感さえ感じます。

 そのような中、政局は混迷を極め、財界再編や衆議院の解散総選挙もささやかれています。  また、現在、社会保障制度や税制改正など、国民生活に直接関わる問題が議論されておりまして、日本の社会が大きな転換点を迎えていると思います。  今年こそは、このような閉塞感を打開し、将来に希望が持てる年になることを心から期待をしています。

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」110周年式典

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」高崎商都博覧会

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」高崎音楽祭熱帯ジャズ

原会頭:商工会議所は、中小企業の集まりです。我々中小企業を取り巻く経済環境は、デフレの長期化、円高、消費の不振、株価の低迷など難しい要因が重なり、大変厳しくなっています。極端に言えば、日本中が閉塞感に包まれ、鬱状態になっているような感じさえいたします。しかし悲観ばかりしていても、何も解決いたしません。今年は、個人や企業が持っている夢の実現に向かって行動を起こさなければならない年と考えています。  松浦市長が長く掲げてこられた「交流と創造~輝く高崎」という大目標に沿って、高崎市は官民が一体となって努力し、成果を出してきました。国も県も、高崎市を手本に見習ってほしいと思っています。

二居野:昨年は、暗いニュースが多かったような気がします。ですが私たちが暮らす高崎市を見ますと、新しいニュース、楽しいニュース、話題がたくさんありました さて、昨年を振り返って、印象に残った高崎の話題はありますか。

松浦市長:高崎市は昨年、市制110周年というまちづくりの節目を迎え、4月1日の記念式典では、次の時代の高崎を担っていく子どもたち自身の手による「たかさきこども憲章」が発表され、高崎のまちづくりの新たな10年がスタートしました。  また平成18年の合併以降、5年の歳月をかけて取り組んでまいりました中核市への移行も、昨年10月に政令が公布されたことにより、正式に決定しています。  中核市・高崎が誕生することで、保健衛生や福祉、環境など、特に市民生活に密着した分野におけるサービスを、高崎市自らの判断と責任のもとで提供できるようになります。  市民のみなさまには、名実ともに群馬県を代表する都市にふさわしい、行き届いた行政サービスを実感していただけることと思いますので、期待をしていただきたいと思っています。

原会頭:高崎新都市創造推進委員会を高崎商工会議所が設置しまして、市長に提言をできたこと、初めて開催をした高崎商都博覧会が大成功したことが、大きな出来事として印象に残っています。市制110周年の年で、一年間、いろいろなイベントが開催されましたが、特に10月は、花路・花通り、高崎音楽祭、高崎マーチングフェスティバル、高崎商都博覧会などが連携し、にぎわいの相乗効果があったと思います。  キリンビール跡地に森永製菓の工場が着工しましたし、北関東道の3月全線開通が決定しました。今年につながる、期待できる話題でした。  北関東道が開通し便利になりますが、移動時間が短縮することは、ライバルが広域化することにもなるので心配もあります。これから一層の努力が必要になるでしょう。高崎の活性化のためにがんばっていきたいと思います。

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」提言書

都市間競争に勝ち抜く「都市集客戦略ビジョン」

二居野:昨年12月に高崎市が「高崎都市集客戦略ビジョン~4600万人交流圏の新たなステージ」を発表いたしました。このビジョンでは、「高崎市の交通の便の良さ」を、より戦略的に活用し、高崎市を群馬県最大の都市から、全国・世界に通用する都市に発展させていく将来像を示しています。  またこのビジョンの作成には、高崎商工会議所新都市創造推進委員会からの提言も取り入れられています。

松浦市長:高崎市は4月1日に中核市に移行いたします。今までの特例市から一格上の都市となり、将来の政令指定都市への実現に向けての第一歩を踏み出すわけです。  中核市への移行は、これまでにも増して、市民のニーズに的確に対応した行政サービスを提供するとともに、都市として自立し、高崎市という行政区を越えた都市経営に努めていくことが求められています。  そして何よりも、国や県に依存することなしに、自主自立の地方自治の確立に向けた、本気の取り組みをしていかなくてならなくなります。極論を申しますと、「国や県が行き詰まっても高崎だけは大丈夫」という都市経営をめざしていかなければなりません。

二居野:地方の時代と言われる一方、自治体の破綻などもありましたが、高崎市の明るい未来を期待できそうな、非常に頼もしいお話ですね。具体的には、どのような取り組みがあるのでしょうか。

松浦市長:今後の高崎市の都市づくりは、世界都市・東京に直結した日本有数の交通拠点性と、多彩で特色ある文化力、市民力を戦略的に活かしていくことが重要であることを、あらためて認識しなければならないと思っています。  そのことを踏まえて、新たな都市産業の創出や政令指定都市めざした、都市基盤の整備と都市機能の集積を果たしていきたいと思っています。  都市は選ばれる時代になります。まさに生き残りをかけた都市間競争の時代が始まっています。

二居野:高崎市が競争を勝ち抜くためにはどうするべきなのでしょうか。

松浦市長:私は、高崎を「自立した都市として、確固たる基盤をつくっていく」ためのグランドデザインとして「高崎都市集客戦略ビジョン」を提起しました。  「高崎都市集客戦略ビジョン」は、高崎を集客都市、コンベンション都市として位置づけるとともに、広域業務都市としての機能と集積を高め、高崎の持続した成長をはかっていくものです。  本市の人口は、我が国が人口減少社会に突入し、群馬県に人口が200万人を割り込んだ中で、市外からの多くの転入者等に支えられ、人口が増加し続けていますし、交流人口も増大しています。  そこで、本市のこの拠点性・求心力をさらに強化し、本市を群馬県最大の都市から、内陸にありながら、「世界に開かれた都市」に発展させていかなければなりません。  そのためには、本市の特性を十分に把握した戦略的な都市経営を行うことが重要です。  2008年、平成20年にスタートした、本市の第5次総合計画では「交流と創造~輝く高崎」が将来都市像に掲げられています。

二居野:第5次総合計画で掲げた将来都市像も含めてご説明いただけますでしょうか。

松浦市長:この将来都市像は、内陸有数の交通拠点性を最大限活用し、交流人口を増大させ、本市全体の経済、産業活動を活性化させることと、文化・芸術と科学技術の創造性をまちづくりに活かしていこうというものです。  そして市民一人ひとりが輝き、可能性に満ちた生き方ができる都市をつくっていこうとするものです。  「高崎都市集客戦略ビジョン」は、将来都市像である「交流と創造~輝く高崎」の確実な実現をはかり、本市が上信越・北陸の中心都市として。新潟市。金沢市、さいたま市と同様に、日本地図の中で、互角に存在感を示す都市にしていくグランドデザインです。  そして高崎市全域を集客都市(コンベンションシティ)と位置づけ、高崎都心部の都市機能の集積を高め、都心部の拡充と活性化をはかることで、それを市域全体に波及させ、より豊かで質感の高い都市に発展させていくという、高崎市の進むべき道を明確に示したものです。

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」スマートIC(初期設計モデル)

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」東口駅舎開業

「スマートIC~高崎駅東口」を新たな都市軸として開発

二居野:東京と新潟をつなぐ縦軸、金沢と常陸那珂をつなぐ横軸、高速十字軸の中央に位置する高崎市の交通拠点性が戦略として位置づけられています。高崎市がめざす集客都市、コンベンションシティは、どのように実現していくのでしょうか。

松浦市長:具体的には、本市を北陸・信越と首都圏・東京を結ぶゲートウェイとして位置づけ、広域業務都市としての基盤の上に、「高崎に人が集まる、高崎に人を集める」集客都市としての発展を期していきます。  そのための戦略として、スマートインターチェンジと県内最大の集客施設であるJR高崎駅を結ぶ高崎駅東口線を、本市の新たな都市軸として開発していきます。  また、高崎から2時間圏内にある4600万人という交流人口を最大限活用し、高崎への集客をはかる新たな「都市集客施設」を都心部の最も効果的な場所に建設・整備していきます。  さらに、これらの都市基盤整備により、新産業の新たな創出、雇用の拡大、投資意欲の誘発をはかっていきます。  そして群馬交響楽団に象徴される高崎市の芸術・文化や上野三碑や古墳群などの歴史的遺産、オンリーワンのものづくりの技術力などの高崎ブランドに磨きをかけて、世界や全国への発信力を高め、市民自身が高崎に愛着を持ち、高崎を誇りに感じる都市にしていきたいと思っています。

二居野:このビジョンの策定には、高崎商工会議所からの提言もあったということですが、原会頭はどのようにお考えですか。

原会頭:高崎商工会議所としても、松浦市長の「交流と創造~輝く高崎」から「創造」をもらって、「高崎新都市創造推進委員会」を特別委員会として設置して、3部会で2年間の検討を行ってきました。そして昨年の11月に松浦市長に提言書を提出させていただきました。高崎市が発表した都市集客戦略ビジョンの中に、私どもが提案した内容を採用していただいており、感謝しています。  人の集まるにぎやかなまちづくりをどうしていくか、ということに尽きると思います。その観点から、高崎商工会議所も、名前は「商工」ですが、高崎「農・商工・観光・文化」会議所として活動していく必要があると思います。  これからのまちづくりは、そのまちの持っている芸術文化、歴史資産を積極的に掘り起こして、フューチャーしていくことが大変重要になると思います。

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」6期目当選を決めた松浦市長

リーダーに「人を得る」ことが大切

二居野:松浦市長は今年の市長選挙に出馬しないことを発表され、全国的にも大きなニュースとなりました。

松浦市長:私は、今日まで、市民の皆様のご支援とご協力をいただき、6期24年間にわたり、市長の職を務めてまいりました。  思えば24年前に「美しい群馬にたくましい街、高崎をつくろう」というスローガンのもとに高崎市長選挙に挑み、激しい戦いを乗り越えて市長に就任いたしました。  以来、私は、市政に対する信頼性や公平性を貫くために、謙虚で公正な市政を堅持するとともに、高崎市の発展のために心血を注いで、邁進してきたつもりです。  そして、前回、6期目の市長選挙において、これまで市民のみなさんとともに進めてきた高崎の「まちづくり」の総決算を行い、10年後、20年後の高崎の「進むべき道筋」をしっかり示していくことが、私に課せられた「市長としての責務」であるとお約束いたしました。  おかげさまで、高崎市は県下最大の都市から上信越、北陸の中心都市として、新たな成長と発展の時代に入ってきました。

 私は、私の市政の政策的な柱として掲げてきた「交流拠点都市高崎」、「地球市民のまち高崎」、という都市づくりのビジョンと精神が、決してまちがっていなかったと自負しています。  しかしながら、これからの高崎市の都市経営は、次の時代に向かって、人心を一新することで、より積極的に、より緻密に、スピード感を持って進めることが求められていると考えるに至りました。  新しい人材が、新しい発想で、高崎の舵取りをすることが必要な時代になったと私は思います。

 昨年、高崎市は市制110周年という節目の年を迎えました。私は、市制90周年、100周年、110周年という高崎市の3つの節目を担って参りました。  また3回にわたる合併を行い、大高崎市の統合と建設を手がけさせていただきました。さらに今年4月には中核市への移行を行います。  私は、高崎が次の時代に向かって飛躍していくための道筋や基盤づくりは、私の持つ力の限り、私の責任において、できることは「成し遂げた」という思いでいっぱいです。  そこで、昨年12月の市議会において、次の市長選挙には出馬しないことを宣言いたしました。私の市政を支えていただきました、市民の皆様に、心から感謝を申し上げたいと思います。

二居野:原会頭も長きにわたり、お近くで松浦市長のご活躍の様子をご覧になっていたと思いますが、市長のご決断をどのように感じられましたか。

原会頭:24年間という長いあいだ、高崎を引っ張って下さって、「交流と創造~輝く高崎」という大目標のもとで、名実ともに県下一の都市にしていただいた。松浦市長の決断を、私も大変重く受け止めました。  高崎の歴史に残る名市長、松浦市長には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました、と申し上げたい気持ちです。  松浦市長のお話を聞いていて、あらためて高崎市の発展に必要なことがわかりました。リーダーに「人を得る」ことが大切だと思います。リーダーが、「こういう国にしたい」、「こういう県にしたい」、「こういう市にしたい」と確固たる目標を掲げることが必要ではないかと思います。 次の市長には、松浦市長の政策を引き継ぎながら、更に高崎を発展させることができる、決意と実行力のある方に期待をしたいと思います。

ラジオ高崎・高崎新聞共同企画「市長・会頭新春特別対談」多胡碑

「誰よりも愛する高崎」のために

二居野:愛する高崎のために尽力されてきた松浦市長の姿が市民にとっても誇りだったと思います。

松浦市長:私の市長の任期は、今年の5月1日まであります。  任期いっぱいは、これまでにも増して、「誰よりも愛する高崎」のために、まだまだ力を注ぎ、多くのビジョンや政策を提起してまいります。  そして市長退任後も、24年間の経験を生かして、高崎市の発展のために、できることは協力してまいりたいと思っておりますのでよろしくお願いを申し上げます。  また、これまでの24年間は、休むことなく、毎日忙しく働いてまいりました。これからは自分のために使う時間も少しはできると思います。読書をしたり、健康のためにも、ゴルフなどもして、体を動かしたいと思っています。

二居野:まだまだ、松浦市長のお姿を拝見することもありそうです。意外なところでお会いできるかもしれませんね。原会頭、いかがでしょうか。

原会頭:高崎市は昨年、市制110周年でしたが、去年から今年にかけて周年記念がたくさんあるように感じています。昨年、企業では小島鉄工所200年という大変な歴史の節目がありました。高崎にゆかりのあるブルーノタウトが去年、生誕130年でした。今年は多胡郡が建郡1300年を迎えます。高崎市のまちづくり、活性化に生かしていただきたいと注目しています。また、太平洋戦争が勃発してから、今年で70年になります。  温故知新という言葉がありますが、節目の年には歴史を振り返って、一度立ち止まって、そして未来を考えることが大切だと思います。  また、個人的なことで恐縮ですが、私は俳句を趣味でやっています。還暦のときに第一句集を出しまして、古稀に第2句集を出したのです。75歳で3冊目の句集を出せるよう準備にとりかかりたいと思っています。

二居野:楽しみなお話しもうかがえました。対談をうかがって、私たち市民一人ひとりが前向きに努力していく力、高崎力を高めなくてはいけないのだなと実感させられました。一人ひとりの力は小さな力かもしれませんが、集まれば大きな力になります。中核市になる高崎市、これからも発展していく高崎市に向けて、私たち市民も力をあわせていきたいと思います。松浦市長、原会頭、ありがとうございました。

(2011年1月1日「ラジオ高崎」放送を採録:文責 菅田明則・新井重雄)

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