力あわせよ2百万
熊倉浩靖
(2010年月10日)
県土の厳しい現実を直視しよう
国勢調査を前に、いささかショッキングなニュースが流れてきた。県人口が200万人を割って減り続けているという。「力あわせる二百万」という上毛かるたが使えなくなる?
ぼくらの小さいときは「力あわせる百六十万」。10年ごとに10万人ずつ増えてきたことを想うと、隔世の感がある。
大正9年(1920)の最初の国勢調査時の県人口は、105万2610人。ほぼ100万人で今の半分。2百万人を超えたのは、平成7年(1995)調査の200万3540人。75年で倍増した。
日本全体では、大正9年5596万3063人が、倍の1億1千万人を超えるのは昭和50年(1975)。55年で倍増だから、群馬の人口の伸びは、全国に比べて実は緩やかだった。「えっ」と思わざるをえない。
実際首都圏で工業集積も多いから、人口の伸びは全国平均より大きかったと思っている方が多いのではないか。ぼく自身今回調べ直して目から鱗。自らの不明を恥じるばかりだ。
「意外」と受け流さずに、県の姿を見直す必要がある。そこで全国に対する人口比率で見ると、大正9年は1・89%あったが、平成7年は1・59%となり、0・3%も下がっている。戦前の人口集積度の方が高かった。
その理由は何か。シルク、野菜、麺に象徴される農業の力だろう。農業基盤を大切にしてきたことが群馬を底から支えてきた。その力が現在の畜産、食品工業にも繋がっている。持続的発展や環境重視が叫ばれる中、群馬の地域特性を再生の源とすることは有望だ。
だが、これだけでは県勢再生の力とはなりえないかもしれない。全国、とくに首都圏の各地に比べて、群馬の人口減少・少子高齢化はスピードが速いからだ。
例えば推計では平成20年(2008)中に人口は減少し始めているが、国勢調査レベルでは、今年の調査が最初の人口減少となる。
ところが群馬県は、平成17年(2005)の国勢調査ですでに減少が始まっている。平成12年(2000)がピークで、202万4852人、17年202万4235人。そして今年の夏、2百万人割れ。全国傾向より早く人口減少が起きている。群馬を除く首都圏の一都五県ではなお人口増が続いていることを考えると、事態は深刻である。
さらに、少子高齢化という面でみると、平成20年の推計で、高齢化率の全国平均22・1%に対し、群馬は22・5%と、全国平均を上回っている。一都五県の高齢化率が19・1%から21・3%であることを考えると、群馬の高齢化率はあまりにも高い。
人口減少と高齢化の傾向、スピードは、首都圏の姿ではなく、東京から離れた地域の姿を示している。
しかも、本当の深刻さは転入出にある。一都三県ばかりではなく、茨城、栃木に比べても転出傾向、とくに男性の転出傾向が強い。事態は想像以上に深刻である。
そうした県域傾向の中で、実は高崎は人口が急増している。私たちは、県域の厳しい事態を変えていく可能性を待っている。
選択に応える自覚を高めよう
県人口の減少傾向が早まるなか、高崎は人口急増となっている。平成12年(2000)国勢調査の高崎市人口は35万8465人だったが、平成22年9月1日現在では36万9607人。十年で3・11%の増である。高崎を除く県人口は2・20%の減だから、その差は「異様」なほど大きい。
しかも高崎の人口増には二つの際立った特色がある。一つ目は、人口急増は平成17年以降に起こっているということ。平成12年と17年ではほとんど横ばいで、最近5年間で1万人も増えている。新町地区一つ分の増加に近い。
二つ目は、平成20年以降、県外からの転入者が県外への転出者を上回ってきたということ。従来も自然増・社会増ともにプラスだったが、県内各地からの人々を集めて県外、とくに東京圏に送り出す傾向が強かったが、ここにきて、県外、とくに東京圏からの転入者が急増している。平成19年と21年を比べると、両年とも、県内との間では800人ほどの転入超過と変わりがないが、県外との間では、354人の転出超過が300人の転入超過へと、完全に逆転している。
こうした傾向は、幾つかのことを想わせる。 まず、似た現象が全国にもあるということ。際立った例は東京。全人口が減少するなか東京の人口はさらに増えている。九州と福岡、北海道と札幌も同様だ。高崎は、群馬周辺で選ばれる都市になっている。
しかし、高崎の選択は遅れた選択でもある。東京都区部からの人口移動は、まず都内の中央線沿線、続いて東海道、千葉・茨城・埼玉の都区部隣接地、そして宇都宮線沿線、高崎線沿線へと反時計回りに生じると言われている。しかも、その最後の二つの人口移動は連続的には広がらず、宇都宮と高崎に飛んでくると言われている。検証が必要だが、高崎が飛躍できる大きな好機が来ていることは確かだ。
加えれば、北陸新幹線の開通、高崎・玉村スマートインターの開設、コンベンション機能への関心の高まりは、第三番目の国土軸の要としての高崎の可能性を高めている。 課題は、こうした傾向と特色を市民の共通認識として地域活性化を考えることにある。規模ははるかに小さいけれど、世界都市東京や福岡、札幌と共通する都市戦略、市民文化創造が求められていると言ってよい。
人が集まってきているということは、最低の産業・雇用基盤はあると言うことだ。だが、人々の自己実現や起業、創業、展開を支える仕組みを生み出せているだろうか。人の集まりが地域の活性化に繋がっているだろうか。
高崎は選ばれ出した。だからこそ、選択される都市、市民としての自覚を持って、多様な主体の適切な配置と役割分担づくりが求められている。
(群馬県立女子大学教授)