高崎へのラブとプライド - マーチングフェスティバル20年に思う

(2009年10月)

インタビュー:高崎マーチングフェスティバル協会理事長 堤志行さん

 「高崎のまちに生まれた誇りをみんなで共有しよう」。マーチングフェスティバルは、高崎への「ラブとプライド」に源を発し、連綿と続く川の流れのような市民運動なのです。行政ではできないことを我々が行い、具体的な行動を通して都市政策を提言していく。そんな気持ちを我々は持っていたと思う。(堤志行さん)


高崎へのラブとプライド - マーチングフェスティバル20年に思う

偶然と直感と決断

 高崎マーチングフェスティバルが誕生して二十年。まちなかに音楽を連れ出し、「音楽のある街高崎」を文字通り体現した功績ははかりしれない。二千人を越えるマーチングパレードは数万人の観客を集め、全国トップクラスのフェスティバルとして名を馳せるようになった。沿道を埋め尽くす市民、ファンの喝采を浴びながら、子ども達や招へいバンドが颯爽とパレードするこの大事業は、偶然の出会いに端を発している。


 戦後の復興や社会奉仕を目的に、1951年(昭和26)に設立された高崎青年会議所(以下高崎JC)は、60年代以降、高崎のまちづくり団体として力を発揮していく。現在の高崎まつり(旧名・高崎ふるさとまつり)をはじめ、戦後高崎のまちづくりは、青年、市民が担い手となってきた。高崎青年会議所は、まちづくりのテーマとして群馬交響楽団の支援を長く掲げ、群馬の森での「森とオーケストラ」を三十年以上継続させている。


 高崎マーチングフェスティバル協会理事長の堤志行さんは、高崎JCのメンバーとして活動し、まちづくりや群響に夢を持っていた。昭和六十年代、群響の練習場問題を解消するため、群馬シンフォニーホール建設が審議されることになり、市民団体として、群響を支援している高崎JCに声がかかった。JCの代表として堤さんが審議会に出席することになるが、このことがマーチングフェスティバルにつながるとは思いもしなかった。


 審議会の委員長は、高崎市民音楽連盟の故・斉藤民氏。群響楽団員で高崎市吹奏楽連盟の熊井正之氏、からす川音楽集団の児玉健一氏らが委員になっていた。


 「合唱の神様の斉藤先生、吹奏楽の神様の熊井先生、現場の神様の児玉さんとの出会いが大きな転機になった。青年会議所の代表として、音楽が大好きで少なからず造詣のあった私がそこに居合わせてしまった」。


 屋内で行う吹奏楽だけでなくアウトドアのマーチングも面白いという話題がその中で語られ始めていた。時あたかも1988年(昭和63)、全日本吹奏楽連盟はアメリカから入ってきたマーチングを正式採用することを決め、全国への普及に踏みだした。全日本吹奏楽連盟の理事長は、高崎市民吹奏楽団の団長もつとめた永長(ながおさ)信一氏で、マーチング導入の全国責任者となっていた。地元でマーチングをぜひやりたいという気持ちを永長理事長は持っており、教え子の熊井氏が指導する東京農大二高にマーチングを導入させた。


 吹奏楽は、中学や高校のブラスバンドで知っていたが、マーチングは全く未知の新しい音楽だった。マーチングが秘めた可能性を堤さんは直感し、日本のマーチングの揺籃期、マーチングの発火点に飛び込んで行った。高崎JCも新たに取り組むべき都市問題のテーマに試行錯誤しており、堤さんは、次代のまちづくりとしてマーチングを高崎JCの事業として実施することを提案した。


 「演じるのは小学生、中学生、高校生。音楽的にはシンプルでわかりやすく、スポーツ的な要素もある。衣裳もカラフルで、指揮杖や旗などのパフォーマンスをアウトドアで大勢の市民が観覧できるので受け入れやすいのではないだろうか」。


高崎へのラブとプライド - マーチングフェスティバル20年に思う

 高崎JCは堤さんを旗頭に、マーチングを学校に取り入れるよう高崎市にかけあった。高崎市教育委員会の茂田治男教育長は「それはおもしろい」と賛意を示し、四年をかけ全ての小学校に金管バンドを作ることを決めた。そして堤さんらは、子ども達のマーチングを市民に見せるためのフェスティバルを、二年後の1990年(平成2)市制90周年に開催することを計画し、高崎市は事業費として5百万円の補助金を付けた。「今にして思えば、高崎市も教育委員会も思い切ったすごい決断をしてくれた」と堤さんは振り返る。


 高崎マーチングフェスティバル協会が設立され、永長氏を会長に、熊井実行委員長、事務局長に堤さんが就いた。市の補助金に、高崎JCの事業費を百万円、市民企業の協賛金3百円を加え、第一回目のフェスティバルは9百万円の予算で立ちあがった。高崎でのマーチング導入はきわめて早く、全日本マーチングコンクールも、高崎マーチングフェスティバルに一年先んじているに過ぎない。


日本一のマーチングシティにしよう

高崎へのラブとプライド - マーチングフェスティバル20年に思う

 90年の五月、中央公民館でマーチングフェスティバルの参加説明会を行ったが、参加者はゼロ。誰も来なかった。これは大変だと、高崎市内の全校を回って説明し、参加を呼びかけた。


 産みの苦しみの中で、マーチングフェスティバルは高崎JCの重点事業に位置づけられ、青年たちの情熱が注がれた。マーチングは、エンターテイメントとして発展する一方、原形となる軍隊の行進や訓練のイメージを伴うため、子ども達が参加することに反対する声も聞こえていた。また、器楽演奏に対する指導の得手不得手、児童生徒数の多寡もあり、全ての学校が横一線で取り組むことは難しかった。


 第一回目は24団体、1386人が参加した。シンフォニーロードが開通したのは第四回以降で、それまでは、高松中をスタートし、大通り、田町を経て戻るコースとなっていた。当初は城南球場の使用も許可してもらえなかった。現在のコースを確立したのは、第四回からだ。


 フェスティバルは大成功し、第二回も高崎JC四十周年記念事業として取り組んだ。手応えがあった。


 「高崎を日本一のマーチングシティにしたい。新しい市民運動として全市に広げていきたい。市制百周年まで継続してほしい」と松浦市長に訴え、暖かく理解してくれたという。市制百周年は全校参加のフェスティバルをめざした。高崎マーチング協会の組織も高崎JCのOBを巻き込みながら、市民ボランティアが集い、十年でマーチング運営のプロ集団へと人材が育った。


「キャビーのようになりたい!」

 マーチングは、誰も経験したことのない全く新しい音楽ジャンルだった。指導者不足は最初から覚悟していた。そのため高崎マーチングフェスティバル協会は、子ども達への講習に力を入れ、専門講師を招き、参加費無料で実施している。そして一流の演奏を聞くことが、何よりも子ども達の向上につながると堤さんは確信し、フェスティバルには必ず全国屈指のマーチングバンド、世界に名を馳せる海外のマーチングバンドを招へいしている。


 「年を重ねるごとに着実に技術が上がり、講習会の成果が現れている」と堤さんは実感している。違う小学校の子らと演奏することで切磋琢磨し、子ども達にも良い刺激になる。高崎の子ども達が全国一になることも、堤さんの夢だった。


 第四回は、当時日本一を獲った前橋市の細井小を招いた。高崎の子ども達とのレベルの差が見えてしまうのではないかと関係者の不評を買ったが、同じ小学生の全国水準を知ってほしいと、続けて五回目も細井小を呼んだ。「自分たちも上手くなってやる」と感じてくれる子ども達がいることを、堤さんは信じていた。そして豊岡小が頭角を現し、東部小、塚沢中、農大二高が全国トップの結果を出した。高崎は、全国レベルの常連校に名を連ねた。夢の一つがかなった。「本当にうれしかった」。上級生から受け継ぐ伝統、熱心な指導、そして校区ぐるみの支援が大切だと堤さんは言う。


 なによりも一人でも多くの子ども達が、一校でも多くの学校がマーチングフェスティバルに参加してくれることが、大切なことだと堤さんは考えている。合併により大きくなった高崎市全ての子ども達がフェスティバルに参加してくれることを願って、努力している。「経験の無い学校が練習を重ね、パレードに参加するのは本当に勇気のいることだと思う。楽器も十分に揃っていないかもしれない。そうしたことを乗り越えて、パレードに参加してくれた子ども達に、私は力一杯拍手をおくりたい。沿道の皆さんもきっとそう思っているはずです」。


 第八回大会には阪神大震災の被災地、西宮市から春風トランペット鼓隊を招き、市民の感動を呼んだ。海外からは、英国近衛軍楽隊(第六回・第十六回)、世界チャンピオンのブルーデビルズ(第七回)、オーストリアのヴィルテン(第八回)、トルコ軍楽隊(第九回)、米国第三海兵遠征軍楽隊(第十回・第十一回)が来高している。


高崎へのラブとプライド - マーチングフェスティバル20年に思う

 マーチングフェスティバルの完成を実感したのが、世界ナンバーワンバンド、キャビーの愛称を持つ"キャバリアーズ"を呼んだ第十五回だ。初めてバンドクリニックを開催し、キャビーの練習を子ども達に見せた。音楽を通じて、アメリカの若者達が何を学んでいるのか、高崎の子ども達に知って欲しかった。その翌年は、キャビーと同じ緑色のユニフォームが増えたり、キャビーの演奏曲を取り入れる学校も多かったそうだ。


 -市制110周年では、新高崎市全校の参加を提案したいと思っています。パレードのコースも、できれば中心市街地に変更し、キッズドリル、フィールドドリルのタイムテーブルも見直す必要を感じています。二十回の開催を機に、我々古参は若い世代に主導権を渡していきたいと思います。(堤志行さん)


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