富岡市長が施政方針/7月には新都市構想も
(2011年6月10日)
高崎市議会6月定例会で施政方針
富岡市長は、10日の高崎市議会6月定例会で、施政方針演説を行った。
富岡市長は「大胆でスピード感のある力強い都市経営、責任感と決断力のある公正な市政を実現していきます」と述べ、経済と文化と自然が調和した、上信越と首都圏を結ぶ一大中心都市にしていく考えを示した。
医療・福祉では、医療体制を日本のトップクラスの水準に持っていくことや、思いやりをもった高齢者福祉の実現を示した。
教育面では、基礎的な教育を充実させた上で、子どもたちの個性を伸ばす教育の推進を教育改革の柱に置いた。
中心市街地の活性化対策では、若者や学生と高齢者が一緒に交流する施設の設置、など福祉と文化、教育と経済を一体化させた新しい中心市街地の再生計画の策定を早急に行う。
都市整備では、高崎・玉村スマートIC周辺の産業を集積させ副都心を形成させる。高崎駅周辺でコンベンション施設を中心に音楽ホールや業務機能を持った新たな大型都市集客施設を建設し、新しい高崎のシンボルとする、競馬場跡地については、高崎市民の憩いの場となる緑豊かな公園と、国際的なレベルの競技ができるスポーツ施設の建設計画を叩き台として、群馬県と協議しながら検討を進めることを示した。これらを盛り込んだ新都市構想を7月に示す考え。
演説内容は次の通り。
施政方針
6月定例会の開催にあたり、私の市政運営に対する施政方針を表明し、議員の皆様をはじめ、広く市民の皆様の、ご理解とご協力を賜りたいと存じます。
先ず、私の政治や市政に対する心情と基本的な政治姿勢についてご理解を賜りたいと存じます。
私は、世の中が安定し、豊かさを保っていくためには、社会が固定化しないで流動化し、階層が固定化しないことが大切なことだと思っています。そして、努力すれば、頑張れば報われる社会であり続けるべきだと思っています。
私は文部省という役所に入りまして、そういうフェアな社会をつくっていきたいと思い、仕事をしてまいりました。これは、「まちづくり」でも同じです。一生懸命頑張って、汗を流して、努力している人や企業や商店が報われる、評価される。そして発展する。このような高崎にしていかなければならないと私は思っています。
市政を預かる市長の仕事は、汗をかいている人の努力を応援する、発展に少しでもお役に立つようにする。これが一番の仕事だと思っています。
二番目の仕事は、いくら努力を重ねても報われない人たちが必ずいますから、そういう人たちに暖かい眼差しを送り、そして援助の手を差し伸べる。これが市長の役割、考え方の基礎だと思っています。私自身も、そういう考え方で人生を貫いてきたつもりです。そういう考え方を、これからも貫いていきたいと思っています。
「高崎に住んで良かった。高崎の街はおもしろい」と皆が実感できる高崎をつくりたいという熱い情熱を私は持っています。高崎で生まれ、育ち、生活することを市民が誇りに思える市政を進めます。そして、大胆でスピード感のある力強い都市経営、責任感と決断力のある公正な市政を実現していきます。
さて、私は、高崎の最大の長所は、寛容な開放性にあると考えています。高崎は外から来た人々を受け入れ、異なうた文化を幅広く受け入れる「異文化共生都市」だと思います。また、国内有数の交通拠点であり、群馬県の中では最も都市基盤の整備が進んだ都市です。
これからの時代は、都市間競争が熾烈になります。都市が覇気を持ち、国内外からも人が集まる力をつけていくことが必要です。都市間競争を勝ち抜き、いつの時代も発展し続ける都市に飛躍するか、今の水準にとどまってしまうのか、高崎は今、その分かれ目に立っています。これまでホップ、ステップと跳躍を続けてきた高崎を、大きくジャンプさせていきたいと思っています。
そのためには、総合的な政策を立て、スピード感を持って取り組んでいきます。市内の中小企業の支援や農業や観光の振興とともに、新しい産業やビジネスチャンスをつくりだし、高崎の発展の原動力にします。雇用の確保は、市民生活の基礎づくりになります。
また、高崎市には群馬交響楽団、6つの大学、約20の専門学校があります。文化・歴史的資産もたくさんあります。また豊かな自然や大地があります。こうした資産を総合的に生かして、魅力あるまちづくりを行い、経済と文化と自然が調和した、上信越と首都圏を結ぶ一大中心都市にしていきたいと考えております。
さらに、「やさしい眼差しに満ちた市政」を行います。介護や福祉のサービス、子育て支援、小児救急、放課後児童クラブなどは県内では高い水準になっていますが、さらに日本の都市の中でも最高の水準にしていきたいと考えています。
子育てをしながら自己実現をして、自分の価値を高めたり、お年寄りの経験や知恵を社会のために生かしてもらうなど、全ての世代が生きがいをもち、社会の中で役割を担っていく仕組みをつくっていきたいと思いまず。
そのために、市民、NPO、ボランティア団体との連携や協力を強めて行きます。行政は可能な限りスリムに、市民が主体のまちづくりを進めます。
医療・福祉政策について
次に、市民の命を守るという視点から、高崎の医療や福祉政策について考え方を述べさせていただきます。
高崎の医療は、県内では高い水準になってきていると思います。お医者さんの数は、全国の都市の中で208番目の位置づけになっております。人口当たりの医療施設は全国で88番目ですから、まずまずの水準になっていると思いますけれど、まだまだ改善の必要があると思っています。
小児医療などの救急医療体制は、もっともっと進めなければならないと思っています。私は、医療の面でも市民の皆様が安心できるように、医師会や国立の高崎総合医療センター、民間病院と連携・協力し、日本でトップクラスの水準に医療体制をもっていきたいと思います。
福祉は国の制度や指針で規制されていることが多いわけですが、市が独自にできることもたくさんあると考えています。
私は基本的な考え方として、高齢者は、住んでいる地域で、できる限り、可能な限り、地域から離れないで必要な援助を受けて生活する。そのためには、例えば地域包括支援センター、在宅介護支援センターなどを充実させていかなければならないと考えています。 特に私は、地域で献身的に支援活動をしているNPOの方々やボランティアの方々が、決して優遇されていないことに問題意識を持っています。善意でやっていくことには限りがあります。そういう方々への支援を最優先でやっていくことが必要です。
また、高齢者ご本人も家族の方も、相談機関はあるのですが、現実には充分に機能していないという状況があります。相談活動をもうともっと充実させることが必要です。
さらに、高齢者の皆さんの知恵や経験を生かす社会活動、生涯学習活動の場を広げて、いろいろなところで、その力を出し、元気さを発揮するネットワータ、組織を充実させていく。私はそういう活動を応援して参りたいと思っています。
プライベートなことを申し上げて大変恐縮なのですが、私の母親が70代の後半を過ぎてから、新幹線の工事で家が移転することになりまして、300mほど家が移りました。私は当時、別にどうということはないと思っていました。しかし、高齢者の300mは、高崎から熊谷くらいまで移ったような感じなのです。足が弱っていますから、今までお付き合いしていたお茶飲み友だちから切り離されてしまつたのです。私は、母に対して思いやりが足りなかったと今は思っています。
私は、高齢者に対する福祉行政は、そういう思いやり、熱い思いやりを持たないと、極めておざなりな行政になってしまうだろう、そういう恐れがあるだろうと思っています。
市役所の福祉行政にあたる職員とか、民生委員の方とか、社会的弱者にお力添えいただいている方々が、熱い思い、心優しく、情熱を持ってやれるような高崎市全体の雰囲気を盛り上げていくことが必要だと思います。
いくら制度をいじくり回しても、そういう気持ち、志がなければ、なかなかうまくいかないと思っています。機会があるごとに、こうした話を関係者の皆さんとしていきたいと思います。
教育について
次に、子どもたちが健やかに育ち、安心して学び、豊かな心を育むための施策についての考え方を述べさせていただきます。
高崎の子どもたちが健やかに育つ、元気いっぱいに育って、優しい心を持って、チャレンジする気持ちで、国の内外で活躍する。そういう子どもを育てたいと思います。そのために、まず、道徳教育、モラル教育をしっかりやりたいと思います。また、国語教育、日本語教育もしっかりやっていかなければなりません。誰もが、しっかりやらなくてはいけない基礎的な教育を充実していくことが大切です。
高崎は合併により倉渕や榛名など、自然が豊かな都市になりました。そういう自然の中で勉強する、遊ぶことを取り入れられるようになりました。高崎に住んでいるのだから、高崎のことをしっかり勉強してもらう。こうしたことを、しっかりとやっていくことが必要です。
しかし、教育は画一的過ぎるのはよくないと思っています。私の教育観ですけれど、全部の子どもがきちんとやらなければいけないことはしっかり教育するが、その上に立って、その子どもたちの個性に応じて努力する姿勢を伸ばすような、個性的な教育を進めるべきだと思っています。外国語が非常によくできる子は外国語を伸ばす。スポーツができる子はスポーツを伸ばす。音楽ができる子は音楽を伸ばす。個性的な教育を進めることを、私は高崎の教育改革の柱にしていきたいと思っています。
それは、何か勉強をしなくなるという誤解を招く可能性があります。しかし、今の日本の教育の最大の問題は、子どもたちの学習意欲がないということなのです。勉強する意欲がないことです。だから、みんな同じように画一的に詰め込んでもだめなのです。子どもたちの学力がどんどん伸びるようにするためには、個性に合わせた教育をしっかりやる。個性を考えて、伸びてもらう教育を進めるべきだと思っています。高崎の個性教育を進めて参りたいと私は思っています。
学校は、いじめがゼロ、などということを自慢することはないのです。いじめがゼロではなくて、いじめに対して一生懸命学校が努力しているということをほめるべきなのです。ゼロであるかどうかが問題ではないのです。そういうふうに学校運営を変えていきたいと思っています。
教育の現場は、先生方が非常に臆病になってしまっていると私は思っています。先生方が萎縮している状況があるわけです。私は、市長や教育長、教育委員会が一生懸命やっている先生を応援する姿勢をきちんと示すことが大事なことだと認識しています。そして、学校をオープンにしていく姿勢を持たないと、教育現場がだんだん縮こまってしまうと思うので、私は、そういう雰囲気を直して、明るい学校にしていきたいと思っています。
高崎が持続的な発展をしていくために
次に、少子高齢化時代を迎えた高崎が持続的な発展をしていくための方策についての考え方を述べさせていただきます。
日本の国全体が経済的な低迷を続けていることに対し、高崎においても多くの市民が危機感を抱いています。加えて人口が減少していくという、今までになかった局面を迎えています。経済規模の縮小を余儀なくされる時代が到来しています。ますます厳しくなる経済環境の中で、高崎の経済を元気にするために、新しい政策が必要だと考えています。
そこで、高崎の経済を活発にするために、私が考えていることを8点ほど申し上げます。
1つは、仕事を増やす。これを一番に、常に最優先に考えていこうと私は思っています。私が持っている人脈、経験を生かし、いろいろな方々の協力を得て、最善をつくして頑張っていきたいと考えています。
2番目は、市長たるものアンテナを常に張って、御用聞きに徹するべきだと私は思っています。高崎の企業がどういうことで悩んでいるのか、どんな問題意識をもっているのか、耳を傾け話をよく聞いて、速やかに対応する。可能か可能でないか、もちろんございますから、全部できるわけではございませんけれども、速やかに対応していきたいと思います。
3番目は、アンテナを張つて御用聞きになって、新しいビジネスを外から持つてくる。そして雇用を増やしていきたいと思います。高崎は、都市としてのインフラ整備がかなり進んできましたが、新しいビジネスを興したり、誘致して来るということでは、遅れをとつています。しかも機敏な対応をしていません。前橋に比べたら高崎は良いと安住していたら、前橋南や本庄早稲田などにビジネスが移ってしまいます。私は、高崎の恵まれた交通拠点性と県内一の都市基準の整備を活かした上で、さらに必要な条件整備を行い、速やかに対応していきます。
4番目は、高崎の「まちなか」中心市街地に新しい施策を導入すべきだと思つています。中心市街地を活性化し、元気にしたいということは、全国の地方都市全ての共通した課題です。私は、中心市街地に、いろいろなものを持つてくるべきだと思っています。例えば、市営住宅と民間住宅の手法を組み合わせ、若者や学生と高齢者が一緒に居住する住宅、ミュージシヤンやアーテイスディサービスなどの介護施設や卜が集まるアトリエとか住まい、託児所などの複合施設などを集中的に中心市街地に設置したいと考えています。決して良い条件のところにつくるのではなくて、むしろ活性化していない場所につくり、「街」を活性化させる。こういう試みをやつてみる。どの通りや街にするか大議論が起きるかもしれませんが、市民の皆さんに大いに議論してもらうことが大事なことだと思つています。
この福祉と文化と教育と経済を一体化させた新しい中心市街地の再生計画については、早急に方針をお示しできるようにしたいと考えています。
5番目は、高崎をおもしろいまちにしなくてはいけないと思っています。例えば、パスタのまち、パスタのまちのパスタがどこにあるかというのではなくて、パスタのストリートをつくる、うどんのストリートをつくる。そういうふうに、おもしろいまちにしていきたいと思つています。高崎を訪れた人が、お土産に何を買うかというのを、着いてから考えるのではなくて、新幹線に乗っているお客が、高崎が近づき、高崎という声が聞こえた瞬間に、あの店に行こう、あの通りに行こう、あの店で買い物をしようと、イメージが連鎖して浮かび上がる、そういう個性的な、魅力的なまちづくりをしていかなければと思っています。
また、高崎ほど緑の少ない街はあまりありません。市民の皆さんは、高崎はすごく風光明媚で、山があって川があって、緑がいつぱいだと錯覚していらっしゃるかもしれませんが、高崎は街の中に緑が少ない都市だと思っています。高崎周辺の山河や環境や風景に甘えているのではないかと思います。そういうところから点検していこうと思います。
次に、6番目ですが、高崎の農業の振興ということであります。高崎におきましても、今農業の持つ可能性と今後の在り方が間われています。
地産地消とよくいわれますけれど、私は地産地消ではだめだと思っています。パイが小さすぎます。地産地消は当然のこととして、むしろ地産他消で、他に売っていかなければいけないと思っています。農畜産物の高崎ブランドをどんどん上げていく。こういうことが絶対必要だと、私は思っています。
既に国府の自菜、箕郷の梅、榛名の梅・梨、倉渕のほうれん草などは素晴らしい産物です。こういう素晴らしい生産物のブランドをどんどん上げて、生産力を高めていく努力が必要なのではなぃでしょうか。こういうブランドカを上げることは、行政が比較的応援しやすい分野です。私は、東国原さんみたいにタレントではありませんけれど、全力をかけてやつていきたいと考えています。東京や首都圏のレストランで、野菜とか群馬の物産だけを使う店はけっこうありますが、群馬産と書いていないのです。「私のレストランでは野菜は群馬です」とは書いていないのです。民間の力とお知恵をお借りして、ブランドカを高めていきたいと思います。
私は長い間、食農教育をJAの方と勉強してやつてきました。農業と教育の連携が重要だと認識しています。消費者である都市部の市民、子どもたちが本物の農業に触れて、農業生産物の価値、農業生産を良く見てもらう。そして農業生産者の味方になってもらう。こういう積み上げなども進めていきたいと思っています。
私は、最近大変感動しているのですが、市内の農家の方が大変な汗をかいて、品種改良や本当に良いものをつくるために、大変な努力をされています。さらに販売ルートも開発し、販売の仕方についても、ものすごい努力をされている方がいっぱいいるのです。
私は、バラマキではなくて、そういう実践的な、先導的な活動をしていらっしゃる農家の方や連携している方を支援していきたいと考えています。
次に、7番目でありますが、10年後の高崎をどうつくっていくかというビジョン、私の新しい都市づくり構想についてであります。
高崎は、首都圏のバックアツプ機能を担う、上信越と首都圏を結ぶ、新しい一大中心都市、そして文化と経済と自然環境が融合して、相乗効果を発揮する都市。私は、こういうイメージを持っています。
考えてみますと、さいたま副都心、新宿副都心は、高崎より遥かに大きな都市ですが、文化、経済、自然環境という3つの要件を揃えていません。3つの要件が揃っている大都市は、国内にも世界にもそうありません。
高崎は、この条件を生かさない手はないのです。この文化、経済、自然環境という3つの要件を戦略的に活かして、新潟市よりも、さいたま市よりも、品格のある一大文化・経済都市として発展していく姿を私は考えています。
そのために、現在の高崎都心部と建設が推進されている高崎・玉村スマートインターチェンジを結ぶラインを高崎の新しい都市軸と位置付け、新たな都市開発を構想していきます。
具体的には、スマートインターチェンジ周辺と東毛広幹道(高崎駅東口線)の沿線の開発を促進し、流通団地、工業団地、業務団地として整備し、高崎新産業副都心としての開発を急ぎます。また企業誘致を積極的に図り、雇用の拡大に努めます。
高崎駅周辺でコンベンション施設を中心に音楽ホールや業務機能を持った新たな大型都市集客施設の建設に着手し、新しい高崎のシンボルとします。
競馬場跡地については、高崎市民の憩いの場となる緑豊かな公園と、国際的なレベルの競技ができる本格的な集客力のあるスポーツ施設の建設計画を議論の叩き台として、群馬県と協議しながら、速やかに検討を進めていきたいと考えています。
このようにして、高崎の中心部の集積を高め、文化ゾーン、スポーツゾーンを持った「一大ヨンベンションエリア」で、国際見本市も、国際会議も、国際的な競技大会も頻繁に行われる都市。そういう方向に高崎をジャンプさせていきたぃと考えています。その条件を高崎は充分に持っていると確信しています。これらの新都市構想については、7月中にも改めて方針をお示しできるよう現在準備をしています。
次に、8番目でありますが、合併レた地域の振興策を見直し、地域の特性を活かした農業や地域産業の育成に力を注ぐとともに、都市化している地域の基盤整備や環境整備に取り組んでいきます。
さらに、市民の皆様の要望の高い市民向けの野球場、サッカー場や、お年を召した方々の健康的なスポーッの振興を図るためのグラウンド・ゴルフ場等の市民のスポーツ施設の整備についても、早期に建設計画をお示しできるように現在検討しているところであります。
東日本大震災の影響と福島第一原発の放射性物質漏れの対応
さて、最後になりましたが、2点ほど申し上げさせていただきます。
第1点は、今、市民の皆様が最も関心と不安をお持ちの東日本大震災の影響と福島第一原発の放射性物質漏れの対応についての考え方を述べさせていただきます。
東日本大震災と福島原発の事故は、我が国の歴史の上でも類をみない大きな被害をもたらしました。この国難ともいうべき事態に対して、日本はどうなってしまうのか、高崎は大丈夫なのか・・。多くの国民・市民が不安を抱いています。このような状況に対して、市民の生命と財産を守り、高崎を着実に成長させていくことが市長に課せられた仕事であると認識しています。
高崎の中小企業、商店、飲食店、農家もさまざまな影響を受けています。被災地の復旧・復興を全面支援するとともに、高崎を大震災や放射性物質漏れの二次災害や二次災害から全力で守らなければなりません。また、群馬は災害が比較的少ない県だということに安住することなく、災害に強い都市づくりに取り組まなければなりません。
災害時の救援に不可欠な避難施設、緊急輸送道路などのインフラ整備、市民の命を守る病院の震災対策、子どもたちが学ぶ小中学校の耐震化の推進。上下水道などライフラインの耐震性強化や、近年増加するグリラ豪雨対策の強化。市民の安心`安全を確保できる情報ネットワークの総点検と整備や、市民相互の支え合うネットワークづくりなどに取り組んでいきたいと考えています。
東日本大震災や福島原発の事故への具体的な対応としては、6月1日に「東日本大震災影響対策室」を設置しました。
先ずは、地元の企業、商店や農家に対する聞き取りを通じて現状を把握し、農産物の風評被害対策のための基金創設など、緊急性の高いものから迅速な対応をしていきたいと考えています。
また、福島原発の事故に対応して、市民の安心・安全を確保できる対策に取り組むと同時に、市民の健康維持のための対応に最善を尽くします。
さらに、今回の対策室の設置を「第1弾」と位置付け、今後さらに雇用確保やビジネス招致といった課題に対しても、部局横断的で機動性が高い専従組織を設置して対応してまいる所存であります。
第2点でありますが、本年夏の高崎まつりと花火大会の件でありますが、東日本大震災の後、被災者への哀悼の念から、多くの町で花火大会を中止する様子が見られます。 しかし、私たちは、いつまでも悲しみに暮れているわけにはまいりません。
日本全国が大震災の後、その復旧・復興に向け戦っている今だからこそ、また、大震災の影響を受け、私たちの高崎が、厳しい困難を迎えつつある今だからこそ、高崎を元気にしていかなければならないと考えるものであります。
このため、私は、高崎警察署のご協力をいただき、高崎まつりを実施するとともに、高崎花火大会の実現をお願いして話し合いを続けてまいりました。
その結果でありますが、各地の花火大会が中止となっている状況下では、高崎花火大会には極めてたくさんのお客さんが詰め掛けることが見込まれることから、高崎警察署と相談し、警備上の理由から高崎まつりと花火大会を二つに分けて実施することとしました。
高崎まつりは8月6日(土曜日)、7日(日曜日)の両日で、また、花火大会は8月28日(日曜日)に開催することといたしました。
ただし、高崎警察署では、福島等へ多数の警察官が応援に行っていますし、市外から警察官の応援を求めることが期待できない状況にありますので、高崎まつりの実施等にあたっては、いくつかの制約が出ることはやむをえないところであり、具体的な内容等につきましては、実行委員会で改めて協議していただくことになります。
いずれにいたしましても、このような時期に高崎まうりと花火大会の実施に高崎警察署のご協力をいただけることになり、実現する運びとなりましたことをご報告できることは、うれしいことだと思っております。
以上、私の市政運営に対する施政方針を表明させていただきましたが、まだまだ言い尽せない山積する諸問題がございます。
昨年、市制施行110年を越えた高崎市は、北関東自動車道の全線開通や北陸新幹線の金沢延伸、高崎・玉村スマートインターチェンジの完成により、いよいよ次の新しいステージベと飛躍しようとしています。
私は、そんな高崎市をもうと暮らしやすい都市として、また経済活動や観光や企業立地においても、北陸・信越・北関東の中で「選ばれる都市」になるために、チャレンジしていきます。
「新しい高崎」をつくるために、どうか市議会議員の皆様、市民の皆様のご理解、ご支援をお願いいたします。