五万石騒動大総代の140年忌法要
(2010年5月2日)
三喜蔵の墓前で行われた法要
五万石騒動の大総代の佐藤三喜蔵の140年忌法要が、遺族会により、2日に菩提寺の普門寺で行われた。市史に三喜蔵は、造酒蔵、造酒介という記述もある。
五万石騒動は、明治2年(1869)に、高崎藩内で起こった年貢減免を求める騒動。凶作と重税に苦しんだ農民4000人が城下に押しかけ、藩に減免と税法改正を願い出た。維新政府の強行な姿勢などもあり、高崎藩により明治3年2月に大総代の三喜蔵と高井喜三郎、9月に小島文治郎が斬首。中心者数十人に流罪、投獄など重い罪科が言い渡された。農民の団結を示す傘連判状が有名な史料と伝えられている。
斬首された3人の大総代らは、長く義人として顕彰されてきたが、年月の中で史実の記憶が薄れている。三喜蔵の子孫にあたる人々によって、10年ごとに法要が営まれてきた。
遺族会代表で5代目の佐藤文二さんは「10年の節目で行っている。今まで、自分の親たちが続けてきた法要が行えて、とてもよかった」と話している。また同会の吉田幸雄さんも「三喜蔵を先祖に持つ者として、五万石騒動を風化させずに続けていきたい」と意義を語っている。
五万石騒動研究会代表で、三喜蔵の子孫でもある星野進乎さんは「高崎藩の軍備は当時としても優れていた。五万石騒動は、武器を使うことなく最後まで戦い抜いたことにも意味がある。五万石騒動が風化するのが心配。140年前の一つの事件に終わらせてはいけない」と考え、140年記念事業を秋に計画している。