高崎哲学堂が財団法人を解散/市民組織として運動は継承

(2009年12月9日)

高崎哲学堂が財団法人を解散/市民組織として運動は継承財団が守り、今年三月に市有となった旧井上邸

 財団法人高崎哲学堂は、旧井上房一郎邸の保存に役割を果たし、同邸を市に売却したことで財団としての使命を全うしたことを理由に、解散することを明らかにした。十二月中には全ての残務処理を終え、今後は市民組織として井上氏の遺志を継承した活動をしていく。

 財団法人高崎哲学堂は、故・井上房一郎氏が「哲学とは、私たちが、私たちの社会に賢明に生きようとする願望の学問です」「高崎哲学堂は、現在の政治や教育の手の届かないことを勉強する高崎の寺子屋です」を掲げ、市民が自由に参加できる講演会を中心に活動してきた。

 最初の講演会が開催されのは、昭和四十四年(1969)一月で、四十年前のこととなる。市民の学びの場を市民の手によって実現するため、井上氏は高崎哲学堂設立準備会を結成。年1万円の賛助会費を積み立て、昭和五十五(1980)年1500万円の基本財産で財団法人の認可を得、講演会等の開催と「高崎哲学堂」の建設を2つの柱に事業を実施してきた。

 平成五年(1993)に井上氏が亡くなり、原一雄氏が理事長を継いだ段階で基金は1億2千万円まで増え、利子で講演会の開催と講演録の刊行ができるまでになった。

 平成十四年(2002)三月、レーモンド建築で知られる旧井上房一郎邸が、相続税滞納のため公売にかかり、財団は市民の手で井上邸を守ろうと、基金に借入金2億1千万円を加え、3億1千万円で落札した。この時、原理事長は「井上先生から様々な教えを乞うたが、最大の遺産は『物事は途中で終わることを自覚して始めなければいけない』という言葉だ。井上先生でさえ哲学堂を建物として完成させることはできなかった。井上先生にとって哲学堂設立運動は途中で終わっている。それを継承するのが、井上先生に導かれた私たちの役目だ。井上先生のお宅を市民の手で落札して、高崎哲学堂として蘇らせよう」と決断したと言う。

 旧井上邸を「高崎哲学堂」に位置づけたことで、財団の名称から「設立の会」を取り、「財団法人高崎哲学堂」に変更。同年五月から一般公開され、旧井上邸は高崎哲学堂として高崎市の名所の一つとなり、市民の学びの場、憩いの場として活用され親しまれてきた。また、貴重なレーモンド建築として、多くの建築関係者からも注目され、見学者が絶えなかった。

 財団は借入金の返済など財政的に苦しい状況が続き、高崎市は隣の高崎市美術館と一体的な整備をはかるため、今年三月に同地を取得し旧井上邸は市有化された。市では、来年度から公開する計画で現在、整備を進めている。

 財団では主要な財産である不動産(旧井上房一郎邸)を高崎市に売却したことで、「財団法人」としての使命を終えたとし、この間、解散の手続きを進めてきた。剰余金約250万円を高崎市文化スポーツ振興財団に寄附するなど、十二月末までに残務整理を終える目途が立ったため、これまで財団を支えてくれた市民、会員に会報「よろこばしき知識」特別号を発送し、文書で解散までの経緯を説明する。

 財団解散後は、「哲学堂運動」を提唱した井上氏の遺志を継承し、市民組織として活動を行っていく考え。財団では「活動のかたちや原資については、旧・理事会を中心に詰めている。来年には、方向を示したい」と話している。

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