高崎病院新病棟が竣工/高崎総合医療センターが開院
(2009年10月7日)
開院を祝いテープカット
独立行政法人国立病院機構高崎病院の新病棟が完成し、名称も新たに高崎総合医療センターとして十月一日に開院した。九月二十七日に記念式典が同院一階ホールで行われた。
病院建て替えの経過は、平成十五年十一月に高崎病院、高崎市、高崎市医師会で整備推進協議会を発足。国立病院機構本部と高崎市が平成十七年七月に基本協定、十九年三月に建設協定を締結。十九年七月に起工し、二十一年八月に竣工した。
国立病院機構本部・矢崎義雄理事長=平成十九年から二十七カ月の工事期間を経て、病床数451床、地下一階、地上七階、延べ床面積約3万3千㎡の新病院の整備が完了し竣工を迎えた。高崎市、群馬県は地方公共団体による国立病院機構への財政支出に関して法的な規制がある中で関係省庁と粘り強く協議し、本院の医療機能の充実強化を推進するため病棟整備の一部と医療機器整備の財政支援をいただいた。新病院の開院で患者の皆様の療養環境が大幅に改善され、医療機能も大きく向上するものと期待している。とりわけ救急救命医療、小児救急、周産期医療において高崎市のみならず西毛地域を広くカバーする総合診療病院としての役割が期待される。大地震でも病院機能が維持できるよう免震構造となっており、災害時の安心にも大きく寄与できるものと確信している。本院が立地する高崎城趾区域内には、市の地域医療センターが設置されており、今後も医療保健センターの建設が計画され、医療保健関係施設が集積するエリアとなっている。本院はその中で総合的な役割を担っていくことを考慮し、高崎総合医療センターに名称変更することになった。病院名の変更を機に、名実ともに総合医療センターとして大きく発展するものと期待している。高崎市、群馬県、群馬大学、医師会、地域関係者との連携のもとで、地域医療の向上のために最大限の努力を行っていきたい。
松浦市長=高崎市庁舎から工事の進捗状況を拝見し、日々階層が上がり、工事が着実に進む様子を自らの目で確認しながら、新病院の完成を待ち望んでいた。市民の皆様も信頼できる身近な新病院の完成を心待ちにしていた。建設工事の竣工により本市の医療環境はより一層充実するものと確信している。高崎病院は、本医療圏の中核病院として地域医療を牽引し、安心安全を市政の最重点に掲げる高崎市として、新病院の整備には医療機能の充実強化のため最大限の支援を行った。厳しい医療情勢にもかかわらず多くの医師の招聘や救急救命医療、小児周産期医療の充実を実現していただけた。名実ともに西毛地域の医療の新拠点として、地域医療の支援病院として、より高度な医療の提供を通じて全ての市民に安心な生活を約束する地域の病院となるようご尽力をいただきたい。
大沢正明群馬県知事=高崎病院は、戦後、国立高崎病院として再発足以来、今日まで高崎市を中心とする西毛地域住民の健康を守る基幹病院として、三次医療を担う救急救命センターとして、県民の命を守る重要な役割を担ってきた。医療機能が一層強化された同病院が、西毛地域はもちろんのこと、本県全体の医療提供体制の中核機能を、これまで以上に担うものと期待している。
福田康夫元総理=これからの地域医療に新しいサービスを提供でき、より安心な社会のため大きく前進した。高崎市の民間医療機関の先生方から、小児科、周産期医療をなんとかしたいと要望を受け、国立病院の整備にあわせてやれないかと十年以上前に構想をスタートさせた。今日、すばらしい成果が現れたと私もうれしく思う。この病院は便利な場所にあり、病院の利用価値も大きくなるだろう。高崎市の医師の先生方とも連携を密にされ、市民が本当に安心できる模範的な医療活動を展開していただければすばらしい。地域全体の医療の向上に努め、市民の大きな期待にこたえてほしい。
上野公成元官房副長官=福田先生が官房長官、私が副長官の時に高崎市医師会の皆さん、牧元会長の時からお話を聞いた。高崎の子ども達は夜、急病の時に、前橋や富岡、藤岡の病院に行かなければいけない。高崎にも基幹病院が必要だ。なんとか国立病院を建て替えて欲しいということだった。計画では、この病院の建て替えの順番は二十四番目か二十五番目でお金も無い。調べて見ると例えば徳島県にはたくさん病院がある。徳島の国立病院と地域医療が不足している高崎市を同じように考えていいのかと順番を繰り上げた。そして建て替えには高崎市も群馬県もお金を出していただいた。この方法は高崎方式と言われ、島根県でもならっている。高崎市民の病院、西毛地域の皆さんの病院として大事にしていただきたい。
高崎市医師会・釜萢敏会長=高崎地域の医療が更に向上するよう医師会も各方面にお願いをしてきた。当時の福田官房長官、上野副長官に大きな力をいただき、松浦市長のご決断と医師会の熱い思いが背景にあったと思う。もし病気になっても、高崎で医療を完結したいと皆が強く思っていた。その願いがかない本当にうれしい。建物の完成に伴い、医師看護師、優れたスタッフが拡充され、院長先生のもとに心を一つにされ地域の医療のために力を尽くしてくださるものと信じている。新型インフルエンザでは、発熱外来のいち早い対応を決断され、医師会も一次治療を全医療機関が体制を整えて対処したいと考えている。新型インフルエンザの対応を通して、高崎市、西部保健福祉事務所、高崎病院、医師会の連携が更に深まった。高崎病院を中心に地域医療が更に向上するよう、全力を尽くしたい。
群馬大学附属病院長補佐・倉林正彦教授=戦後、国立高崎病院として地域医療を支えてこられた。地域医療情勢は厳しく、医師不足の声もしきりに聞こえている。その中で高崎病院は医師を増員し、医療環境の改善に尽力されている。大学と協力関係を持ち、地域の人材育成も担うことができ地域医療の原動力となることを願っている。
群馬県病院協会長富岡総合病院・柴山勝太郎院長=私の記憶をたどると、戦後、陸軍病院から移管し木造平屋を連ねた病院が目に浮かぶ。その後建て替えられた新病院は県内でも数少ないインターン病院であり、県、地域の中核病院だった。当時人口三百万人に一カ所の救命救急センターに指定された。高度経済成長で医療ニーズの質、量が変わり高崎病院だけではその需要に応えることが難しくなった。施設の老朽化が進み、スタッフ不足とあいまって、抜本的な対策が喫緊の課題とされ、新病院建設に対する期待が高まった。一回り大きくなった新病院は優秀なスタッフと最新の機器を備え、地域の中核病院として住民の期待に応えるものと信じてやまない。医療サービスはマンパワーによって作られる。スタッフの目に見えないサービスも医療と考えられる。建物竣工は最終ゴールではない。この病院の機能を発揮するには更に時間が必要だろう。地域で協働し、期待される機能を発揮するよう実績を積みながら目標を達成してほしい。