「茂木さんに恥じない映画をつくろう」
(2009年2月12日)
映画関係者が登壇し茂木さんへの思いを語った
追悼のお別れ会開かれる
昨年11月に61歳でがんのために他界した高崎映画祭事務局代表、高崎コミュニティシネマ代表の茂木正男さんを追悼する「お別れ会」が11日に市内ホテルで行われた。
茂木さんは、映画を通じて高崎の文化をつくった。高崎映画祭の看板男として、多くの人から人柄を慕われていた。お別れ会には、映画関係者や友人が全国から集まった。親交のあった映画監督や俳優も訪れ、遺影の前の献花台に花を捧げ、手を合わせていた。
松浦市長は「茂木さんは高崎の映画文化の発展に生涯を捧げた。遺志を受け継ぎ、茂木さんが安心していられるよう、高崎の映画文化のため、みなさんの力を尽くしていただきたい」。高崎映画祭の大宮登運営委員長(高経大副学長)は「茂木さんは人と人との出会いを大切にしていた。茂木さんが作ってくれた信頼のネットワークを広げよう」とあいさつした。
若松孝二監督は「茂木さんに、がんくらいで死ぬなと言ったことがある。茂木さんありがとう。ここにいるみんながありがとうと言っていると思う」と語った。崔洋一監督は「茂木正男は大勢の仲間に愛されていた。映画をつくるもの、上映に携わる人、愛してくれる観客の仲間たち、同志諸君、茂木正男に恥じない映画をつくり続けよう」と言葉を捧げた。
シネマテークたかさき支配人の志尾睦子さんは「茂木さんは高崎が好きで、高崎ほど愛されているまちはないと自慢していた。茂木さんが作り上げたものを、残党が続けているのかと思われたくない。これからも高崎映画祭、シネマテークに期待してほしい。茂木さんがいなくなり、くじけたり、やっていけるのかと考えることもある。しかし私たちは茂木さんに戦い方を教えてもらった。進んでいきたい」と決意を語った。NPO法人たかさきコミュニティシネマの根岸良司・代表理事は「経営は大変だが、遺志を継いでがんばっていきたい」と話している。
会場には過去の映画祭資料や茂木さんの足跡などが展示された。またこの日は、シネマテークで追悼上映会も行われ、茂木さんが生涯の作品とした『日曜日には鼠を殺せ』を上映した。