壮大な本丸堀を発掘調査/高崎市教委
(2009年1月21日)
現地説明会で本丸堀を見学。堀底に木製土留め
高崎市教育委員会は、高崎城遺跡の現地説明会を一月十二日に行った。発掘場所は、高崎市医療保健センター・新図書館が建設される旧JT跡地。本丸の北側東寄りで、本丸堀、榎門、城代屋敷の辺り。高崎城調査は今回で十九回目だが、本丸堀の調査は今回が初めて。
本丸堀の規模は地表面で幅24m、深さ8m。段状の張り出しを持ち、素堀りであったと考えられる。高崎城の堀は明治維新の廃城で埋められたが、明治以降の絵図面に本丸堀の一部が残っている様子が記録されている。今回の発掘で、堀の底部に木製の土留め施設がみつかり、廃城後も堀の一部が残されていた可能性が示された。堀からは大河内松平家の正紋「浮線蝶」が表された鬼瓦がほぼ完形で出土している。
調査区の北側、高松中学に近いエリアでは、近代以降のコンクリート水路、建物基礎、レンガ積み水路などが見つかった。レンガには埼玉県深谷市の日本煉瓦製造株式会社(明治二十年創業)の刻印があり、明治期に建設された可能性を示している。
参加者は市教委の説明を熱心に聞き入り、高崎城について質問をしていた。市教委は、「現地説明会で、高崎城の壮大な堀を実際に市民に見てもらうことができた。弥生時代から古墳時代の墳墓、中世の堀も発見されている。高崎城や各時代の土地利用について貴重な成果が得られた」と話している。