茂木さん安らかに/人柄慕い哀悼の列
(2008年11月17日)
茂木さんに弔辞を捧げる根岸さん
高崎映画祭代表、シネマテークたかさき総支配人の茂木正男さんが15日に逝去し、17日に告別式が自宅に近い吉井町の葬儀場で行われた。享年61歳。
茂木さんは昭和22年(1947)生まれ。昭和50年に「観たい映画を観る会」をつくり、群馬音楽センターの会議室で月1回上映会を開催。昭和55年に同会を発展させ「メーヴェ」と改称した。映画館で上映するようになり、個性的な上映会を開催していた。
興行的に採算がとれない映画は地方都市で上映されず、もっと多くの映画を観てほしいと茂木さんは高崎映画祭を構想し周囲に協力を呼びかけた。茂木さんたちの熱意が実り、昭和63年に第一回高崎映画祭が実現。高崎の都市文化の一翼を担ってきた。
平成16年、拠点となる映画館をつくりたいと、映画祭スタッフの長年の夢が結実し茂木さんを代表にNPO法人「たかさきコミュニティシネマ」を設立。高崎映画祭を応援する市民、企業のバックアップを得て、同年12月「シネマテークたかさき」があら町の一文字屋ビルに開館した。19年12月にはスクリーンを増設した。
映画祭やコミュニティシネマが地方都市で存続しているのは奇跡的とも言われており、活動の中心となった茂木さんの人柄によるところも大きい。 がんと闘いながら活動を続け、今年4月に43年間勤務したNTT東日本群馬支店を退社。7月には全国のミニシアターが連携する「シネマ・シンジケート」副代表に就き、新しい活動が始まったばかりだった。
告別式の弔辞で高崎映画祭運営委員会の根岸良司さんは「茂木ちゃんのひたむきな気持ちが大勢のスタッフを動かしモギワールドを作った。映画の世界を突き抜け高崎に大きな足跡を残した。君の目の輝きは二度と戻って来ない。君と一緒に仕事をした二十年間を誇りに思う。君とともに過ごし、楽しかった時間を私たちは忘れない。君の友情に感謝しご冥福を祈ります」と悼んだ。
遺族を代表して、茂木さんの長女綾子さんは「たくさんの方に来ていただき、今さらながら父の大きさに驚いている」と弔問者に謝意を述べた。