手間も時間もかかる、職人泣かせのまんじゅう 幸三郎まんじゅう
(2010年1月)
「幸三郎まんじゅう」 1個60円
丁子堂 房右衛門
●3代目から4代目へ。地域に愛され続けて20年
黒糖蜜を使った香ばしい茶色の皮が、思いのほか“ふんわりしっとり”していて、さらに“もちもち”感がある。白餡とこし餡をミックスした餡子で、マイルドな甘さが口中に広がる。ありそうでなさそうな、はじめての触感と味わいだ。
このまんじゅうの名は「幸三郎まんじゅう」。旧倉賀野街道沿いにある明治38年創業の『丁子堂 房右衛門』の三代目・弘志さんが、洋菓子や大量生産品が浸透する時代にあって、自家製和菓子にこだわり独自性を追求する中で創作したもの。「幸三郎」とは、丁子堂の初代の名。現在は4代目・孝之さんが父親の味を引き継ぎ、ほぼ毎日店頭に並ぶ。
「このもっちり感は、くず粉で出しています。小麦粉をブレンドしたり卵を入れたりして、ふっくらとした皮に仕上げていますが、そのせいで品質を安定させるのに苦労する“厄介な子”です」と言う。
作り手には厄介な子でも、1パック6個入って360円という手頃さと、飽きのこない味は、かしこまったお遣い物というより、家族や気心の知れた者同士のお茶のお供に気軽にいただくのが一番で、もう20年間も店の味として定着し地域の人々に愛され続けている。
変わらない味へのこだわりは?と水を向けると、「人が美味しいと感じる味は、時代によっても状況によっても変化します。お客様に変わらずにおいしいと感じてもらうために、実は微妙に作り方を変えています。和菓子職人である以上、売れるものを作ることが社会からいただく評価。お客様目線での試行錯誤は当たり前です」と言う。
また、孝之さんが生んだ「塩大福」もヒット商品となっているが、「お菓子は一時のブームではなく、美味しいと感じてくださる方に末永く味わっていただきたい」との思いがある。
●“丁字堂”を正し“丁子堂”に。創業よりの味を守る
東京・上野の菓子屋「丁子堂」に丁稚奉公に出ていた初代・山木幸三郎さんが、1903年(明治36年)にのれん分けで倉賀野の現在の地に「菓子舗丁子堂」を創業。かつて、お菓子を入れる「板重」という木製の箱があり、そこに刻まれた屋号が業者の手違いで「丁字堂」になってしまったことから、屋号は“字”の文字のほうでお客様にも定着した。しかし、6年前に間違いを正し、再び「丁子堂」に戻したという面白いエピソードがある。
かつて、倉賀野河岸は江戸と高崎を結ぶ船が行き交い賑わった。その河岸を想って作られた「河岸最中」は丁子堂の味の原点として、創業より代々受け継がれてきた。
「これを店に出せなくなったら店を閉める時。自分より長い歴史のある味を守らないと、地元のご贔屓さんに叱られます」と、孝之さんは、譲れない一線を背負って和菓子職人としての道を歩んでいる。
●名物をつくろう
丁子堂の幸三郎まんじゅうは、飾り気のない素朴なまんじゅう。晴れの日を飾る華やかな和菓子にはない気安さに安心感がある。さらに6個入ったパック詰めは360円の値ごろ感。自宅用はもちろん、普段遣いの手土産として最適。「高崎(倉賀野宿)名物」と修飾語を添えれば、好印象度はさらにアップだ!
丁子堂 房右衛門
代表 山木 孝之
高崎市倉賀野町2006
電話:027-346-2321
営業時間:9:00~19:00木曜定休
※メニュー・価格等は取材時点のものです
高崎商工会議所『商工たかさき』2010年1月号