高崎新風土記「私の心の風景」
橋の風景から⑯ ―水沼橋―
吉永哲郎
倉渕地区を流れる烏川は、水が澄み、まさに清流の言葉にふさわしい流れです。川のたたずまいは季節によって変化し、目を楽しませます。倉渕郵便局の信号を西に折れますと、水沼橋に至ります。橋上から上流の風景は、日本の山村風景の原点を思わせます。この橋は、安中・松井田、榛名神社参詣、信州街道の路の交差するところに架けられた橋で、古くから旅人や住む人の生活にとって重要な橋でした。江戸時代自由に橋は架けられませんので、徒歩や舟、仮橋などによって川を渡りました。
橋を往来した人の姿を思いながら、しばし欄干に寄って思いに耽っていますと、上流の左岸に「小栗上野介顕彰慰霊碑」が目にとまります。倉渕に領地があった小栗上野介は、幕府の要職にあって、日本の近代化に大きな功績を残しながら、幕末期に彼の思想に不安を抱く倒幕軍の追討令により、この水沼川原で斬首されました。「罪なくして此処に斬らる」の碑文とあわせ、急を告げる関係者の走り回る姿が、昨日のごとく目に浮かびます。ふと、先日パリで起きたテロ事件を思い、不安な時代は突然やってくると、歴史を学ぶ意味を改めて思いました。
橋を渡った右岸には、水沼の厄除け観音(北向き観音)で知られた蓮華院があり、本尊の千手観音像は自覚大師の手によるといわれる秘仏です。節分の日には厄落としの人で賑わいます。
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