高崎新風土記「私の心の風景」

橋の風景から⑮ ―岩倉橋―

吉永哲郎

高崎新風土記「私の心の風景」

 権田付近の鳥川は、山間を縫うように流れ、急流で清澄感あふれていますが、新町と玉村町を結ぶ岩倉橋あたりになりますと、川幅は広がりゆったりとした流れになります。橋上から遠く霞む水平線の彼方を眺めていますと、その先は海、さらに別世界の空間の広がりに、しばし現実を忘れる気分に襲われます。12月にこの橋風景を取り上げたのは、水平線の彼方を眺めながら、一年無事に過ごせた感謝の気持ちを逝く年の神々に祈り、その彼方から来られる新年の神々を迎え、私の祈りの場としているからです。自然のたたずまいに畏れる気持ちを人は忘れつつある現代、年末のあわただしい時間の中に、こうした自然が織りなす神聖な空間を求め、手を合わせる気持ちを持ちたいものです。岩倉橋は1876年(明治9)に県庁が前橋に設置されるにともない、県庁への最短距離の道として新町・玉村経由の新道が開削され、これまでの渡船場を廃止して、鳥川に設置された木橋がもとです。1878年(明治11)の明治天皇行幸の際、新町行在所から岩倉具視を代表格に、大隈重信以下500名を前橋行在所に派遣したことを記念して、以後岩倉橋と命名されました。さて、私は、ふと何故鉄道を新町から前橋へ敷設しなかったのかと思いました。この地域の人々の、近代化への思惑がさまざまであったことが、想像されます。