高崎新風土記「私の心の風景」

橋の風景から⑭ ―鏑川橋―

吉永哲郎

高崎新風土記「私の心の風景」

 山名から鏑川を渡り、藤岡の平井への道は、古代からありました。橋が架けられた場所は、川の流れの変化にともない一定していませんが、重要な道筋でしたので、はやくに架けられていたと思われます。橋から下流を眺めますと、遠く赤城山麓や日光連山、際立って男体山がそびえる広い河原の風景が広がります。上流は多野・甘楽の山なみが見渡せ、特に荒船・妙義連山に夕日が沈む光景は、自然の神がなせる藝術作品として、時を忘れ見とれてしまいます。この上・下流にひろがる川原の風景には、右岸の段丘地は七輿山古墳をはじめとする古墳群があり、左岸は山名古墳群と佐野山一帯の金井沢碑や山上碑などがあります。下流は鮎川・烏川の合流点があります。私はこの風景を眺めるたびに、奈良県桜井市の大和川(初瀬川)周辺金谷の町を思います。そこは奈良時代内外の産物が集まった最古の市「海石榴市」(つばいち)の跡があります。その市には人々が行き交い、ターミナルとして賑わっていたと思われます。それと同様に、鏑川橋からの風景は、各地から産物が集積され、海石榴市と同様に東国一のターミナルとして、人々が集まり賑わっていたところではないかと、私は想像するからです。市が開かれるごとに「歌垣」があり、男女が集まり歌を詠み掛けあった、東国ゆかり地。橋上から眺める夕陽に、時空を超えさまざまな人生を背負った人々の姿が、浮かんできます。