高崎新風土記「私の心の風景」
橋の風景から⑪ ―境橋―
吉永哲郎
吉井町と高崎市とが合併する前、町と市の境界に架けられた橋です。石原町の県道「館入口」の信号を西へ、鳥川の支流雁行川沿いに行きますと、両岸の傾斜地一帯が「館」です。明治の初め頃まで、「館たばこ」といって、たばこ栽培が盛んであった所です。江戸吉原の女が身請けされたが、習慣でたばこばかりすっているという意味の「うけ出され館といふもののみならひ」という古川柳がありますが、「館たばこ」が江戸でよく知られていたことを示しています。
さて、さらにバス停「小塚」(染料植物園へ通じる道との分岐点)を過ぎて行きますと、雁行川の川幅が狭くなり渓谷状となり、樋ノ沢という上奥平の小字名の地にいたります。その途中に「境橋」があります。その橋際の一軒が、高崎側の一番奥の家(今も面影を留めている)でした。樋ノ沢の人とは目と鼻の先にいながら、樋ノ沢川の浅瀬を選び、渡るのに15分もかかったといわれています。戦後、道路が開かれた時、土地の人たちが古材で木橋を架け、その後何度も台風などによって流出し、その都度吊橋などで急場をしのいできたといいます。「石原の県道まで雁行川の淵を30数回もジグザグに渡って行った」と話してくれた人がいますが、現在のような橋が架かるまで、土地の人たちが自然と共存してきた、厳しい生活のありさまを思います。境界に架かるこの橋は、人々の心の支えであると、しみじみと感じます。
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