高崎新風土記「私の心の風景」
橋の風景から⑩ ―落合橋―
吉永哲郎
川と川とが合流するところを落合といい、そこの地名となったり、橋の名を落合橋と称するところが、各地で見かけます。万葉集東歌に「多胡の嶺に寄せ網はえて寄すれどもあにくやしずしその顔よきに」と詠まれた「多胡の嶺」は、一般には「牛伏山」だといわれています。
私はこの歌の背景には嬥歌かがい(男女の歌の掛け合い)と深い関係があると考え、特に嬥歌の場にふさわしい聖なる山、その麓に清流と川原がある空間を、多野の山麓に求め探しました。ある時、吉井町の大沢川上流、東谷と甘楽町天引の境にある標高448メートルの朝日岳を、その山容が美人の横顔や仰向く姿を思わせるといって「多胡美人」と土地の人が口にしていることを知り、早速、土地の人が親しみをこめて呼んでいる美人に逢いたいと、足を運びました。清流は住吉神社脇の東谷渓谷から流れ、川原は渓谷からの清流が広がる空間、まさに嬥歌の場にふさわしいと思い、さらに聖なる山をと奥へ進みました。大沢川と東谷川の合流するあたりに落合橋があり、近くに美人の登山口がありました。橋上から、満開の紫陽花を裾模様にした薄物を着た美人の姿を、仰ぎみました。ああ、美人山、これこそ聖なる山。
橋上から眼下の清流の音、「かじかかえる」の澄んだ声、空から時鳥の声。さきの万葉東歌が詠まれた原点風景だと、思わないではいられませんでした。
- [次回:125.橋の風景から⑪ ―境橋―]
- [前回:123.橋の風景から⑨ ―神流川橋―]