高崎新風土記「私の心の風景」

橋の風景から⑨ ―神流川橋―

吉永哲郎

高崎新風土記「私の心の風景」

 埼玉県境の国道17号線神流川に架設された2車線の神流川橋は、交通量が多く渋滞が日常的になっています。国土交通省は現在新橋の建設にとりかかっていますが、当分は橋をノロノロ運転で通ることが予想されます。車の中でイライラしますが、時に、この橋の上・下流に広がる川原が、戦国の戦場だったことを思ってみるのも、よいのでは。
 本能寺の変で織田信長が倒れ、ただちに廐橋城主滝川一益は主君の弔い合戦のために京へと行動を起こしますが、これを阻止しようと小田原北条氏直、武州鉢形城主北条氏邦連合軍が、ここ神流川原で対峙、大合戦となった戦場川原であったのです。武士たちの怒号雄叫びが聞こえてきませんか。
 現在のコンクリート橋は、陸軍特別大演習と天皇行幸にあわせ昭和9年に架設されたものです。それ以前の神流川は冬は細い流れ、夏は洪水がおこるほど水嵩が増す流れになりました。渡船場はたびたび増水によって押し流され、「散川」といって流れが一定せず、水がひけても川渡る道筋が分からず、白昼でも旅人は迷い難儀したようです。
 俳人小林一茶の『七番日記』文化7年の項に、新町宿の「高瀬屋」に泊まり、連日の川止めで難儀であったことを記しています。その気持ちを「手枕や小言いうても来る蛍」の句を残しています。
 橋上からの風景を眺める機会はあまりありませんが、時に橋をかける往時の人々の思いを、偲びたいものです。