高崎新風土記「私の心の風景」
麦の秋
吉永哲郎
「雲雀がこのあいだまで、のどかな青緑の空に啼いていたかと思うと、いつしか麦は黄熟して、黄色く波打つ畑に変わってしまっている。山畑の斜面に一枚二枚新緑の中に、黄色の座布団を置いたように見える麦畑は美しい。麦刈りは梅雨前の仕事。そして、足踏みの麦扱〈こき〉機がガコーンガコーンと響き、やがて一日は終わる。夕餉の膳に徳利が待っている。」
この文章は、父の酒のメルヘン『酔時記』に載っている「麦の秋」で、昭和27年に書いたものです。現在、この麦扱機の「ガコーンガコーン」という音を耳にしたことのある人は、少ないと思います。また、文中にある「黄色の座布団」の風景は、今では見かけなくなりましたが、5月末から6月上旬にかけて、郊外にでますと、黄色の絨毯が広がる風景に接することができます。以前は二毛作の農家が多かったので、田植え前の麦刈りと同時に、田に水をひく準備とが重なり、文字通りの農繁期を迎える季節でした。
麦の秋については、江戸時代、季語を解説した俳人其諺〈きげん〉の『滑稽雑談』に「秋は百穀成熟の期、これ時において夏といへども、麦においてはすなはち秋、ゆゑに麦秋というなり」と記され、麦の秋は麦の成熟期のことをいい、夏の季語となっています。この麦秋風景を、日常的に当たり前のように眺めていますが、北関東特有の風景であることをお忘れなく。
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