高崎新風土記「私の心の風景」
スルガダイニオイザクラ
吉永哲郎
サクラは北半球に広く分布する花ですが、その開花を気にし、開花すると大勢で飲食を携えて花見をします。こうした花見の文化は日本にしかないといわれます。特にソメイヨシノが出現してから、花見の文化がひろまったようです。
花見の通人たちは、西の吉野に対して、「東の吉野」と口にするところがあります。それは観音山丘陵のヤマザクラの花見をいいます。ソメイヨシノが散った後に咲く花で、この花こそ平安王朝の貴族たちをはじめ、京洛の人々が愛でた花です。雑踏の中の花見より、私は「東の吉野の花」散策を楽しみます。
また同じ頃(4月中旬)咲くオムロザクラ(京都仁和寺境内に坐って観賞する低木に仕立てた桜)とスルガダイニオイザクラ(大島桜系園芸品種で原木は江戸駿河台の庭園にあった。明治以降荒川堤にあったものが全国に広まる)が気になります。後者は葉芽と同時に開花し、花は桜餅の匂いがします。花弁は幅広く、先端に鋭い切れ込みが多くあります。この花の美しい姿と香とに、花の妖精が目に浮かんできます。
スルガダイニオイザクラが高崎にあります。東京青山の土屋文明宅の庭木を移植した「方竹の庭」(県立土屋文明文学館西南前の木立)の垣根の外側に咲いています。文明は妻への最後の贈り物として、この花で妻の柩を埋め、深紅の椿の大輪一つ胸元に置き、妻を見送ったと、いわれています。