高崎新風土記「私の心の風景」
89. 夏の花
吉永哲郎
「夏の花」といえば、どんな花を思いますか。ヒマワリであったり水芭蕉であったり、人様々です。以前、夏安居<げあんご>の間、日々美しい花を籠に入れて寺にとどける風習がありました。その花を季語では「夏花」といいます。私は『夏の花』という本を思います。終戦混乱期の昭和24年に出版された原民喜の創作集です。なかでもヒロシマの原爆に遭遇し、その体験を主題にした作品が収められています。
その一篇、「コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体ガ恐ロシク膨張シ 男モ女モスベテ一ツノ型値ニカエル(中略)『助ケテ下サイ』ト カ弱イ 静カナ言葉 コレガ人間ナノデス 人間ノ顔ナノデス」。
原爆に関する描写をことさらカタカナ表記にしているのは、生きるものの命を無惨に奪う人間の愚かさを怒る、原民喜の大きな叫びを感じます。そして「夏の花」は、あの原爆炸裂のキノコ雲です。日本の夏は、戦争に関して思い出されることが多くあります。
先日、99歳の新藤兼人監督の「一枚のハガキ」を鑑賞してきました。「80年近い映画人生の最後の作品」と宣言し自らの戦争体験を描いた作品です。
金色に染まった麦畑のラストシーンは印象深く、踏まれて成長する麦の姿に、苦しみながらも生きて行く人間の根源的生きる姿を重ねました。広島出身の監督は身体は動かないが、原爆投下後3秒間で多くの市民が殺された様を描く映画を撮る夢が、福島第一原発事故によって募ったといわれています、その強い思いを象徴するかのように、映画館を出た時、空一杯に入道雲が立ち上がっていました。
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