高崎新風土記「私の心の風景」
88. 多胡碑を訪れた時のこと
吉永哲郎
今年は、高崎市域に多胡郡が設置されて1300年に当たります。この建郡を記念して建てられたのが「多胡碑」です。東日本大震災によって関心が薄れたように感じますが、できれば夏休みに訪れて欲しいと思います。
多胡碑は、吉井町池にあります。私が初めて訪れたのは小学校6年生の時です。終戦後、戦時中の教育理念から転換して、新時代の教育観をもとにさまざまな教育実践が行われましたが、私はその一つのコアカリキュラム教育をうけました。教科を離れて、生徒自身が問題をもち、それに向けて学習し解決していく教育です。
これまでの先生から一方的に教えられるという授業形式と違って、関心の強い蒸気機関車・英語・郷土の歴史など、身近なことを友達とともに学習しますので、学ぶ面白さを知りました。その時、私は「多胡碑」について親友と調べました。60余年前のことです。紅葉の季節でした。自転車で砂利道の中山峠を越え、吊り橋であった多胡橋を渡り、「池」という地名を目指しました。
当時、道路標識などはなく、まして多胡碑の案内板などはありませんでした。ただ、「池」という集落、そこにある大きな木立の森を探しました。丈の高い桑畑におおわれた細い道を走り、桑畑の葉越しに木立を見出しました。
簡単な雨風を防ぐだけの小屋に建つ多胡碑にたどりつきました。今は、道は全て舗装され、多胡碑への案内標識も完備、なかなか探せなかった「池」は、信号機の下の標識に確認できます。この標識を見るたびに、あの時の少年の姿を、目で追ってしまいます。
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