高崎新風土記「私の心の風景」
86. くろ椿
吉永哲郎
倉渕の東大寺境内にある小栗上野介供養墓の背後に椿の大木が茂っています。
説明板に、これは小栗が江戸神田駿河台から運んだ鉢植えの椿とあり、さらに「五月に黒味がかった赤い八重の名花を咲かせる」と書かれています。正式な品種名ではありませんが、この椿を「くろ椿」と、私は口にしています。
墓地の裏山の「恋慕坂」と名付けられた遊歩道をを100メートル登ったところに上野介の本墓があります。この遊歩道は、京都一乗寺才形町の金福寺(こんぷくじ)の裏山によく似ています。金福寺の裏山には与謝野蕪村の墓と蕪村が再興した芭蕉庵があり、山道は大きな山茶花や椿の大木が覆いかぶさり、季節には美しく花が咲きます。
さて、恋慕坂を登りながら小栗への思いを強く感じさせることがあります。先の金福寺は、舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」に登場する村山たか女ゆかりの寺です。たか女は、井伊直弼が彦根城の埋木舎(うもれぎや)で不遇な生活をしていた頃の愛人で、直弼が大老職に就任した後は、幕府隠密となり、京都の攘夷論者たちの動向を探っていました。
「安政の大獄」に荷担したために、「桜田門外の変」で直弼暗殺後、勤王の志士に捕えられ京都三条河原で生晒(いきさらし)になりました。三日後に助けられ金福寺に入り、14年間僧侶として余生を送りました。
小栗が歴史舞台に登場したのは33歳の時、井伊大老に大抜擢され、遣米使節団監察に任命されたことに始まります。時代に翻弄されたとはいえ、直弼との深い関わりの二人の、共通する哀しい人生を思わずにはいられません。
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