高崎新風土記「私の心の風景」
73. 阿吽の呼吸
吉永哲郎
二人の息の合っている様子を「阿吽の呼吸」といいます。寺院の山門を守護する仁王像や神社の狛犬など、向かって右側はロを開いて「あ」を発し、左側は口を閉じて「うん」という呼吸を表しています。
密教では「あ」は人間が口を開いて最初に発する音であることから、真理を求める心を意味するとし、「うん」は口を閉じて最後に発する音のことから、智恵・さとりの境地を意味するといいます。
唐突なことを書きましたが、四月は新年度の始まり、小学校へ入学する初々しい新入生の姿をみかけますと、出発の季節だと感じます。
つまり「あ」の月です。そういえば、昭和16年から始まった国民学校時代、一年生の国語教科書の最初は「サイタ、サイタ。サクラガサイタ。」とあり、次に「コマイヌサン ア、コマイヌサン ウン」とありました。今の人には考えられませんが、当時の筆記用具はノートに鉛筆ではなく、「石板」という携帯用の小さな黒板に、石筆(ろうせきともいい、軟らかい白い石)で文字を学習しました。
「はなまる」をもらうと、それが消えないように家まで帰ってきたものです。帰り道の愛宕神社に寄り道して、教科書にあったコマイヌの姿を確かめたことを、昨日のように思います。久しぶりに神社を訪れました。社殿は新しくなっていましたが、コマイヌさんは以前と変わらずに「ア」と「ウン」の姿をしていました。
この石像は昭和9年に建てられたとありますので、凡そ76年前からずっと、真理を求め「ア」と発していたことを知りました。「ウン」はまだまだです。
(高崎商工会議所『商工たかさき』2010年4月号)
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