映画のある風景
映画の街・高崎~デジタル化時代の映画祭
志尾 睦子
映画の誕生は1895年。誕生した当時から映画は長らくフィルムをその上映素材として来た。それが、この数年でデジタルデータに変わっている。上映素材が変わるという事は、上映機材も変わるという事。これは、全世界的な事であり映画の歴史の中でもかつてない変革の時と言える。
映画館関係者の間では数年前から、興行組合や映画配給会社、映画館同士のネットワークなどでそれらの情報が飛び交い、対応策が講じられて来た。しかし一方で映画祭を実行する団体はほとんどが民間ボランティア組織であったり、年に一度の活動団体なので、こうした情報が行き渡るのに時間がかかる。
そのための情報発信の場として、去る1月14日、高崎市文化会館で第27回高崎映画祭のプレ映画祭企画として、『デジタル化時代の映画祭―フィルムからデジタルへ』を行った。
今回は全国の映画祭関係者に呼びかけもして、映画のデジタル化をテーマにした『サイド・バイ・サイド』の上映と、公開シンポジウムを開いた。雪の中、全国から多くの方々が足を運んでくれた。
数年後には一般的にフィルムは姿を消すだろうと言われている。今では骨董品の領域ながら現役で動く音楽センターの映写機も、高崎市文化会館に備わる映写機も、上映素材を失えば用なしになってしまう。時代の流れとはいえ、事実はそういうことで、なんとも切ない話だ。パネリストの一人として高崎市文化会館の壇上に座り、正面から映写室の窓を眺めた私の目に飛び込んできたのは、その日の上映のためにレンタルしたプロジェクターの姿だった。その両脇からは、フィルムをかけられていない映写機がふたつ、こちらを見下ろしていた。なんとも複雑な心情になった。
今年の高崎映画祭では、まちと映画と題した企画の中で、高崎フィルムコミッション(FC)と共同で高崎FC支援作品の上映を行う。新旧織り交ぜて高崎で生まれた映画をとりあげるのだけれど、それらをフィルムで一挙に上映することは今後もうないかもしれない。
映画の素材が変わろうが、映画はそこにあり続ける訳で、映画の街・高崎はこの先も歴史を重ねていくに違いはないけれど、今年は特別な年になるかもしれない。高崎市文化会館にお越しの際は是非、映写室を見上げていただけないだろうか。映画は人の目に触れて初めて完成する。そのための大役を担い続けている映写機の姿を、是非一人でも多くの方にとどめていただけたらと願うばかりだ。
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