映画のある風景
達磨寺のドイツ人
志尾 睦子
高崎は八幡育ちの私にとって、お正月の一大行事は何と言っても少林山七草大祭だるま市。これに行かねば新年明けた気がしない。毎年自宅からひたすら歩く。かつてのコースはまさしく一山巡っていたものの、数年前から距離が短くなった。年々出店も人出も少なくなってきたという事だろう。少し寂しい気もするけれど、大切な行事が綿々と続く事が一番大事だ。
さて、この少林山にも映画のご縁がある。先日ある方から教えていただくまで不覚にも私はこの事を知らなかった。かの黒澤明が監督デビュー作として準備していたのが、『達磨寺のドイツ人』という作品だったという。少林山のもう一つの顔、ブルーノ・タウトを主人公にした物語だ。
世界に名を轟かせた日本の巨匠黒澤明が、この脚本を書いたのは30歳の時、東宝撮影所の制作主任、つまり助監督だった頃だ。これは1941年12月号の『映画評論』に掲載されている。脚本を入手し読んでみた。浦野芳雄著『ブルーノ・タウトの回想』を原典としていて、タウトは劇中においてはルドヴィッヒ・ランゲと名を変えて登場する。実際にタウトが日本に滞在していた期間と少し年数をずらしているが、村人たちとランゲとの交流を通して、当時の日本の姿がまざまざと浮かび上がってくる。少林山の石段や鐘が地域と人々をいかに深く結びつけているかがそこはかとなく心に伝わってくる名脚本。面白く、素晴らしいに尽きた。
黒澤明は、この脚本で監督デビューを果たすべく準備を進め、実際に達磨寺までロケハンに来て、洗心亭の撮影などもしたそうである。しかしちょうど太平洋戦争の始まった年。日本政府により文化映画のフィルム制限がかけられる時代となり、この企画は断ち消えた。なんとも映像化されなかったのが本当に悔やまれる。しかし、脚本がしっかりと残っているのは幸いだった。
2009年にはWOWOW製作で「若き日の黒澤明〜幻のシナリオに隠されたクロサワ映画の原点を探る〜」というドキュメンタリーが製作されている。私は残念ながらこちらは未見だけれど、こうして後世に名作の存在を引き継げるのだから、良かったとしたい。
現在、黒澤作品のリメイク権を米映画製作会社が大量に取得しているので調べてみると、その中に『達磨寺のドイツ人』が入っていた。未製作脚本の権利を取得しているのだから期待は高まる。出来れば日本資本で日本人に撮ってもらいたいのは山々だが・・・・・いつか映画化される事を切に願ってやまない。
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