映画のある風景
世界の巨匠が歩くまち
志尾 睦子
寒さの続く春の始め、ようやく桜のつぼみが膨らみ始めた頃に第26回高崎映画祭が無事に終了した。今年も多くの方々に支えて頂き、また約7,000人の来場者の方々にお越し頂く事が出来、この場をお借りして御礼を申し上げたい。残務処理と次回の映画祭の構想をすでに頭に入れながらまた日常的に映画に没頭する日々が始まっている。
山積みになった資料を一つ一つ広げていく中でふと目に留まったのが6月に東京公開となる『ファウスト』、昨年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した作品だ。文豪ゲーテの不朽の名作を手がけたのがロシアの巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。この世界的映画監督も実は高崎を訪れた事がある。
1995年第9回の映画祭で、特集という訳でもなく洋画セレクションの1本としてプログラムされたソクーロフの処女作『マリア』の上映のために来日し、約一週間を高崎で過ごしたという。当時ソクーロフ監督は44歳。20代からその才能を発揮して来たものの、激動のソビエト、映画は検閲にかかり公開禁止処分を受けた。そのためにソクーロフの作品が世に出回り始めたのはペレストロイカ以後の事だった。
瞬く間に世界にその名を知らしめる存在となった訳だが、世界に発信し始めた頃にいち早くその作家性に注目し、高崎まで呼んでしまった茂木正男前代表たちの心意気はやはり並大抵のものではないなと思える。世界に誇る偉大な映画作家は、それ以降もコンスタントに映画製作を続け、今や世界的な巨匠だ。
当時、ソクーロフ監督が高崎滞在中にリクエストしたのが、「旧軍人に会いたい」「建築現場が観たい」「盆栽の事を知りたい」「神社と大木がみたい」だったそうで、前代表らは市内はもちろんの事、沼田や赤城まで車をとばし県内あちこちを案内して回ったという。のちにソクーロフ監督は昭和天皇に焦点をあてた『太陽』を2005年に発表したが、この作品を観て、前代表は群馬で過ごしたあの一週間がすでに『太陽』の準備期間だったと気がついたという。
さて、1週間日本の食文化に触れた監督が一番お気に召したのが和田町の武蔵さんの天ぷらだったそうだ。お店のある通りは、東国文化歴史街道。日本人の心と食に触れ、かつての高崎の歴史を知らずのうちに感じながらこの街道を歩いて宿泊地まで帰ったのだろうと想像する。日本人のアイデンティティを、この高崎の地でつかみ取って帰った事は間違いなさそうだ。
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