映画のある風景

1. 高崎東宝劇場の記憶

志尾 睦子

映画のある風景

 映画館の支配人であり高崎映画祭の総合ディレクターなんて肩書きがあると、子供の頃から映画好きだったのだろうと思われる事が多い。そう言われる度に肩身が狭くなってしまうほど、私は20歳まで数える程しか映画を観た事がなかった。そんな私の貴重な映画館体験は、今はなき高崎東宝劇場に凝縮されている。

 初めて映画館で観た映画は1983年の夏に公開された『南極物語』だった。空前の大ヒットと言われた作品で、それで出かけることになったのだと思うのだが、映画の内容も劇場の中も、ほぼ覚えていない。記憶にあるのは映画を観た後の事で、東宝劇場からアーケードへ出る細い路地で、日の光に照らされて水色の服を着た姉と自分と父親と3人でいたこと。頭がガンガンと痛くて帰宅するまで一言も話をしなかった事を覚えている。

その次に映画を観に行ったのが中学生の時でこれも東宝劇場。教員をしていた父が映画教室で観たという『敦煌』を、何故か一緒に観に行った。夜で東宝に隣接するパチンコ屋の中がこうこうと明るかった光景が思い出される。その後、高校生の時に2回程東宝には行っているはずだが、いずれも劇場内の記憶はなくて帰り道の記憶だけ。映画そのものより、観に行った時の情景が思い浮かぶのだ。

はっきりと東宝劇場の中を認識したのが、高崎映画祭のスタッフになった23歳の時だったと思う。東宝には実は3つのスクリーンがある事もそのとき初めて気づいたくらいだ。ビルには入り口が二つあって右側が高崎東宝劇場と高崎スカラ座、左側に高崎東宝プラザがあった。その時初めて、自分の映画館の原体験がここだったのだなあとしみじみと感じながら劇場内を見て回った。その3年後に東宝は閉館し、その数年後にシネマテークたかさきが出来、私は今ここにいる。

今やすっかり駐車場となってしまったその場所に、時々自然と足が向いてしまう。時空を超えた記憶と空気が、私に安心感を与えてくれるから不思議だ。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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