高崎の地元資本企業の意義/地域活力の源

 高崎が近代化への道を歩み出し、明治、大正、昭和と、地元資本の企業が高崎の産業の礎を築いた。地元資本企業の地域経済への波及力などを考えながら、高崎の地域産業の特質について探っていきたい。

 売上が200億円越え、従業員500人クラスの企業は、地域経済に与える影響は大きく、高崎の産業を牽引する役割も担っている。地元の上場企業や、高崎ブランドを代表するような企業、高崎らしいビジネスモデルを展開する4社をピックアップした。企業の成長と高崎との関わり、高崎に本社のあることのメリット、あるいは、高崎に所在することが、マイナス要因になっていないかなどを聞いていく。

高崎の地元資本企業の意義/地域活力の源

戦後のまち工場からグローバル企業に

群栄化学工業株式会社
代表取締役 有田喜一氏

戦後、裸一貫の創業から先端産業へ

 群栄化学工業は、高崎に本社・研究所、群馬工場を構え、国内生産拠点として滋賀工場、海外にはタイに生産拠点を持つ。化学製品では、フェノール樹脂と宇宙ロケットにも使われる耐熱素材「カイノール」を製造する先端産業だ。特にカイノール生産については世界で唯一の企業だ。

 群栄化学の前身「群馬栄養薬品株式会社」は、終戦間もない昭和21年1月に設立された。当時、高崎の産業を支えてきた「理研」に携わっていた人たちが仲間を集め、戦後高崎の復興をめざして、ぶどう糖の生産を考えたのが発足のきっかけだった。当初は十分な機械設備も手に入らず、手探りの中での創業だったが、糖類は、現在でも同社の重要な製品に位置づけられている。創業時から長年にわたって培った技術で、機能性の高い商品を開発し、食品製造には欠かせない糖製品を供給している。また近年では、JA高崎などと連携し、オリゴ糖や飴など一般消費者向けの製品も販売している。

 売上高は平成23年度3月期226億円、化学部門と食品部門を柱に、新規材料の応用開発を行っている。

 戦後解体した理研の技術から会社の土台を作り上げ、自動車や電子、医療産業の台頭といった大きな産業構造の変化に対応しながら企業力を蓄えた。高崎のものづくりのDNAが、群栄化学には脈打っている。

「世界で高崎だけ」の製品づくり

 群馬県の工業出荷額のうち、化学製品では県全体の3分の1を高崎市が占めているが、その背景には、群栄化学の存在が大きい。地元資本で県内に本社を置く化学工場は、少ない。国内の化学産業は、旧財閥系の大資本が目立つ。有田喜一社長は「化学は装置産業だと思う。巨額の投資が必要だ。上場することで企業の活路を開いたのだろう」と先人の経営判断をとらえている。群栄化学は、昭和49年に東証二部、昭和54年に東証一部に上場しているが、当時の地方企業にとっての上場は、勇断だった。「大企業の庇護の下で生きるか、自由に飛び立つ生き方をするのか。群栄化学は飛び立つことを求めたのだろう」と有田社長は考えている。

 同社の原材料は輸入が中心で、有田社長は「海外から仕入れて、海外に売るのであれば、沿岸部に立地していた方が有利であることは間違いない。高崎から沿岸部に移転することも、おそらく検討されたことが過去にはあるだろう」と言う。しかし「群栄化学のビジネススタイルは、内陸部のほうが適している」と言うのが最終判断だ。

 「世界で唯一、高崎だけの製品があれば、高崎にいても生き残れる。群栄化学は、常にそうした方向で脱皮してきた」と力を込める。「カイノール」は、世界で唯一、群栄化学の群馬工場だけが生産できる製品だ。また高崎は、食品製造に必要な良質の水も確保できるというのも理由の一つのようだ。

 「ボーダーレスの時代になり、本社がどこにあるか関係なくなる。大都市の権益主義のような考え方は通用しなくなる。少しくらいの地方のハンデは、企業経営の面白味だったのかもしれない」と有田社長は、笑顔を見せる。

高崎発のグローバル企業に

 「リーマンショック、東日本大震災と、企業は大きな変革を求められている。企業は人。新しい時代を生き抜く人材が必要だ」と有田社長は、450人の従業員の教育についてもより充実させていく考えだ。群栄化学では、アジア、世界を視野にした市場や生産の展望を持っている。「地元企業ということで、社員の地元志向が強い」と、この点については、有田社長はやや不満顔。「グローバルに飛躍したい若者を求めていきたい。自分たちが時代を牽引するんだ、高崎をグローバルに牽引していくんだというくらいの気持ちがほしい。高崎発の企業として、グローバルな仕事をすることが、これからは更に求められる」と目を輝かせる。

 上場企業だが、有田社長は「私どもは中小企業だと考えている」と言う。「高崎の中小企業が頑張り、地元を守り、外に向かって発展していくためのバックアップを高崎市にお願いしたい」と話す。有田社長は、高崎商工会議所の元副会頭でもあり、力のある地元企業を発掘して活躍させるような地域の取り組みに期待を寄せている。

群馬の畜産と高崎の食文化を育てる

JA高崎ハム株式会社
代表取締役 富澤良一氏

オダギリジョーも高崎ハムが好き?

 高崎を冠したブランドで、最も有名な商品の一つが「高崎ハム」ではないだろうか。高崎映画祭の授賞式で、オダギリジョーが副賞にもらう高崎ハムを楽しみにしていると語ったエピソードもある。

 高崎ハムは、群馬の畜産発展のために昭和12年に設立された。設立の翌年に「高崎ハム」が商品として出荷されており、70年を超える歴史を持つ高崎ブランドだ。

 玉村町の群馬県食肉卸売市場で年間に流通する豚およそ48万頭のうち、高崎ハムが8万頭を取り扱う。全国有数の畜産県群馬の畜産振興に大きな貢献をしている。

 売上高は、平成22年度実績で201億円。売上の6割が精肉店へ卸す生肉、4割がお馴染みのハム、ソーセージなどの加工品だ。商品アイテム数は、700にも及ぶ。

全国に広げたい高崎ブランド

 食肉業界では、日本ハム、伊藤ハムなどのように全国展開する企業グループに次ぎ、高崎ハムのような地域の中堅企業が第2グループのポジションを保っている。高崎ハムは、この第2グループの中では一定のシェアを持ち、JA系としては全国一位の強さがある。「私どもが頑張れば、影響力が出てくる」と富澤良一社長は力を込める。

 贈答用の商品は、谷川岳、尾瀬、榛名山、赤城といった群馬ゆかりのネーミングで定番化され、高崎ハムの企業活動そのものが、群馬、高崎の広告塔になっている。

 食肉とハム、ソーセージの供給先も、関東、甲信越、東北に営業拠点を持ち展開している。「パッケージに群馬県高崎市、高崎ハムと印刷されていることは、知名度アップにもつながっているのではないか」と富澤社長は語る。安心安全でおいしい畜産物の提供を通じて、高崎PRの最前線で高崎ハムが健闘している。富澤社長は、西日本にも営業展開して、高崎ハムのブランドを全国に広げていく考えだ。

「これが高崎」と言われるブランドに

 「平成18年に新会社がスタートする時、当時の松浦市長に、高崎ハムの名を残したことで、大変喜んでいただいた」という裏話があるそうだ。高崎市民は、高崎ハムに愛着を持っている。富澤社長は「地元に応援してもらっているから、今があり、将来がある」と地域に深く感謝している。

 高崎ハムは、高崎映画祭や高崎音楽祭に協賛し、地域を盛り上げていきたいと考えている。群馬ダイヤモンドペガサスの応援スポンサーにもなっている。

 「地域にもっと、もっと関わっていきたい」と地域貢献、地域連携に力を入れていく。

 従業員は450人。近年は、「ハムやソーセージを作りたい」と県外からも入社してくる若者が増えているそうだ。そうした若者が、高崎の食文化の担い手に育ってくれる。

 富澤社長は「高崎に行ったら高崎ハムを買ってきてね、と言われる商品づくりをめざしたい」と言う。これが群馬だ、これが高崎だと言われる高崎ハムにしていく。消費者が直接購入する商品なので、PRにも力を入れたいそうだ。高崎駅や、これからできる高崎・玉村スマートICに、大きな「高崎ハム」の広告看板をかかげることも、高崎の玄関口にふさわしいPRになるだろう。

 ちなみに、高崎ハムの社有車150台余りのうち、約7割が冷蔵車トラックで、こちらは、本特集で取材している関東いすゞ自動車から購入したものだそうだ。

新たな成長基盤確立に向けて舵取り

関東いすゞ自動車株式会社
代表取締役 中嶋 和男氏

輸送は地域を支えるインフラ

 昭和21年8月、地域産業を輸送で支えようと、末広町に前身となる関越自動車株式会社が設立された。9月に本町に移転し、群馬、埼玉、千葉、茨木、栃木の関東5県を商圏にいすゞ自動車の販売を手がけ始めた。以降、販売エリアの再編や、いすゞ自動車系列の統合などにより、現在は、本社を宮原町に移し、群馬、埼玉2県をエリアに22拠点でいすゞトラックの販売とメンテナンスを展開する。従業員数は約800人、売上高は、平成23年3月期で418億円。

 中嶋和男社長は、東日本大震災で、物流が人命に直結していることを目の当たりにし、企業の使命を改めて肝に銘じたと言う。「戦後、荒廃した地域を建て直そうとした人たちも、同じ考えだったのでしょう」と、時代を超えて創業時に思いを重ねている。関東いすゞ自動車の原点が、そこにあった。

地元に根ざすことが企業戦略

 関東いすゞが扱うのは、トラック、バスなどの業務用車両。提案からメンテナンスまで、1台の車を通じた顧客とのお付き合いが長い。営業エリアが群馬、埼玉に固定化されているからこそ、顧客への信頼が真に問われる。

 車両の安全は、生命・財産に直結する。自動車は、安全に走ることが当たり前であり、保守では、当たり前のことを正確、迅速に行うことが要求される。また業務用車両は、保守に要する時間が長引けば、それだけ顧客の利益を損なうので、納期の短縮が重要だ。修理工場も充実しており、手に負えない難しい修理が必要な車両も多く持ち込まれる。「地道に、真摯にやっていくしかありません」と、お客様を最優先に考えた体制を整えた。

 車両部品は、電装やタイヤなど、点数も多く仕入れ先が多い。支払いや決済、保険なども含めれば、関連する取引先は、更に広がる。業務用車両は顧客毎のオーダーメードで、荷台に取り付ける冷凍庫やクレーン、塗装なども様々だ。消防車、救急車など特殊なギ装もある。「私たち一社で仕事ができるわけではない。地域の中での協力、共存共栄によって、お客様に最高のサービスを提供することができる」と中嶋社長は考えている。地域にすそ野を広げた総合力が、関東いすゞの力になっている。地域の中で蓄積した信頼と技術は、おいそれと移転ができない。「高崎から移転するなど、当社は考えたことがない」と言う。

ビジネスチャンスは地方へ

 日本の自動車登録台数は減少傾向にあり、例えば4トントラックの国内台数は、バブル期の4分の1になっているそうだ。「経営環境は、乱気流、激流が続く」と中嶋社長は言う。厳しい中でのビジネスチャンスは、足元にあると考えている。「お客様にどのくらい喜ばれているか、役にたっているのか、しっかり検証して、足元を突き詰めていきたい」。単に売ることだけを考えれば「都内や海外を考えた方が楽かもしれない。魚がいるので、そこに出かけて行って魚を釣ってしまうことが、果たしてその地域の役に立つことなのか、私には疑問に思える。企業が負うべき地域の役割や、地元の住人への貢献までを考えて行動していく必要がある」と言う。

 流通業、製造業では、物流の合理化や再配置で、都内から地方の幹線沿線へと物流拠点や車両の車庫を分散させる動きもあるそうだ。「天災の少ない群馬県、高崎市にとっては、チャンス」と動向を注視している。

関東いすゞを高崎ブランドに

 「関東いすゞが良いねと、お客様に選ばれるブランドを作りたい」という。高崎で生まれた会社として、ブランドづくりが十分にできているか、企業の使命を達成できているかと自問する。答えは「まだ、道の途中」。社員800人が一丸となって、会社の文化や社風を作り上げていきたい。一人ひとりの個性を生かした800人のチームづくりが、中嶋社長の夢であり、目標だと言う。創業以来、決算では利益を出し、税を納めるのも、企業としての地域貢献ではないかと、経営努力を続けている。

足元を突き詰めていく

藤田エンジニアリング株式会社
代表取締役 藤田実氏

グループ6社の総合企業

 藤田グループは、建築設備工事、設備機器メンテナンス、設備機器販売、情報通信事業を展開する総合企業だ。

 グループは、藤田エンジニアリングを中心に、藤田テクノ、藤田ソリューションパートナーズ、藤田デバイス、藤田水道受託、システムハウスエンジニアリングの6社、人員は平成23年末で767人を擁する。23年3月期の連結決算では、売上高228億円、経常利益4億8,600万円。JASDAQに上場する。

 藤田実社長は、就任7年目。グループ間の連携を確立することでビジネスチャンスを広げ業績を上げた。5年後の創立90周年に向け「新エネルギー・環境技術のリーディングカンパニーとして関東エリアナンバーワンの顧客価値創造集団への変貌」と売上高400億円を目標にした計画「RASH-90」を掲げて成長を狙う。

藤田のビジネスモデル

 グループ6社の共通した企業理念は「お客様第一」。顧客第一は、どの企業も掲げるテーマだが、具体的な取り組みでビジネスが変わる。

 強みは「即応力と技術」と藤田社長は言う。保守は、365日24時間体制。要請があったその日に対応する即応率は9割で、工場の設備保守は必要に応じて常駐している。

 設備機器の保守は、メーカー系列の縦割りで、一つの会社にいくつかの会社が出入りするのが普通。藤田はどのメーカーでも対応できるので、病院など、保守が必要な機器が何十台もある場合、複数会社と保守契約していたものが一括管理できて便利になり、コストも削減できる。藤田が伸びたのは、どんなメーカーでも保守できる体制を築いたからだという。また、保守会社が、メーカーの資本傘下に取り込まれていく流れもあったが、藤田は複数メーカーを扱うことで独立性を堅持できた。

堅実かつ大胆な経営戦略

 グループの拠点は群馬、栃木、埼玉、神奈川、長野、新潟に合計14カ所。保守のサービス水準を維持するために、顧客は拠点から1時間の範囲内にとどめている。藤田社長は「長く取り引きしていただくには、何よりもお客様との信用が大切」と話す。「お客様の顔が見えない仕事はしない」と、顧客と直接関わることを重視している。

 エリアに密着、現場重視の軸足がぶれないことが、藤田の存在感を強固にする。

 堅実な顧客主義に加え、M&Aによっても新規分野を開拓してきた。電子部品や個人宅向けのソーラーシステム設備を業務に加え、総合力を高めている。ソーラーシステムは、年間1,000棟の実績があり、企業相手の産業分野だけでなく、個人向けの事業拡大もはかっている。省エネや環境、新エネルギー分野には、特に力を入れていく考えだ。

地域、社員、株主に還元

 藤田グループの協力企業は、8割が群馬県内の企業で、およそ5千人が関わっているほどすそ野が広い。社有車と営業職のマイカー借り上げ使用を合わせると、台数はおよそ500台、1カ月のガソリン使用量は6万リットルにもなる。

 社員の待遇面でも課長職以上に年俸制を取り入れ、モチベーションを高めている。社員や協力会社には、業績に応じて表彰を行い、株主や社員、地域企業に対して、できる限り還元していくのが藤田社長の考えだ。

 「地域に貢献するのが藤田の使命。地域経済が沈滞すれば、藤田も沈滞する。節電、省エネ対策では、地域の中小企業に藤田のノウハウを提供したい」と藤田社長は訴えている。

 「わが社は信用を旨とし、社業を通じて社会に貢献し、もって豊かな生活環境をつくる」との社是のもと、今後も創業90年に向け地域とともに発展していく。

取材メモ

 今回、「高崎から他都市に移転する気持ちがありますか」と問うと、もちろん4人の経営者は、首を横に振った。それは各社の郷土愛によるところも大きい。今回取材した4社の従業員はあわせて約2、500人。一人当たりの月給を25万円とすると、単純計算としても月に6億円を越す金額になる。関係会社や取引先も含めれば地域経済にとって大きな影響を与えていることがわかるだろう。

 高崎の産業の黎明期や戦後の苦しい時代を生き、高崎を築いてきた誇りが、今回の取材で感じ取れた。地域経済の安定と高崎の飛躍が、各企業の経営理念にしっかりと組み込まれていることがわかる。自らの成長が高崎の発展や飛躍につながっているのだと自覚しているのではないか。

 これらの企業が戦後の復興期に高崎経済を牽引してきたように、今後予想される地方都市の自立や、都市間競争での生き残りには、やはり地元資本の企業の存在が鍵を握る。全国の主要な地方都市には、全国にその名が知られる地元資本の企業が存在する。

 地元資本の企業の持つ根強さが、地域活力の源泉である。企業の活力は、都市の活力に直結する。企業が持つ活力を高崎の魅力につなげていくことが今後、更に強く求められるだろう。

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