改めて高崎の小麦料理を見る

改めて高崎の小麦料理を見る - 群馬の気候と文化がつくった小麦文化

うどんや焼きまんじゅうなど、群馬の名物には小麦を使ったものが多くある。農林水産省によると、群馬は平成20年産の小麦の収穫量は全国で4位、高崎は群馬の中でも3位である。私たちの住む地域は、単に小麦がたくさん取れるだけでなく、質のよい小麦が取れる。

食の水準が高いといわれる京都の、銀閣寺近くのうどん屋では群馬県産の小麦を使ってうどんを打っているとか。昔の農村地帯は「朝はごはん、昼はすいとん、夜はおきりこみ」。小麦が人々の生活とどんな風にかかわり、どんな風に調理されていったかを探る。

群馬は小麦の産地

群馬の名物に小麦を使ったものが多いのは、昔から群馬は小麦をつくるのに適した環境だったことが影響している。一般的に、小麦の生育は、1~2月の降水量の多さと梅雨時の日照時間が大きく影響する。群馬県は日照率が高く、2007年の年間日照時間は2,211時間で全国第4位である。そのうえ、夏は暑く、冬はからっ風が吹き、周囲は山々に囲まれている。湿気を田から追い出すため小麦作りには適した風土。また、二毛作が可能な気候であることも、小麦の産地となった要因である。

売り物の米、普段食べるのは小麦

昔から、米は売り物。大切な商売品である。この辺りでは養蚕とともに、主な収入源であった。くず米も大事にし、農家が口にするのは、特別な日だけ。小麦はそんな農家の普段の食事を支えた食材。小麦は挽いて使うものなので、うどんやまんじゅうなど、色々と姿かたちを変え、色々な料理として食卓に登場する。群馬県立歴史博物館の横田雅博さんによると、小麦だけでなく、米もトウモロコシも粉にして小麦に足して食べることもあったそうだ。小麦は群馬の食を支えているのである。

地域によって名前や味付けが異なる

小麦料理は、同じ料理でも、地域によって色々な名前で呼ばれている。また、同じ呼び名でも、色々な調理法や味付けがある。例えば、すいとんは「つみ入れだんご」「だんご汁」「すいとん」「おつみこみ」「ねじっこ」「おしだんご」「とっちゃなげ汁」などと呼ばれている。これは、小麦粉をこねたものを一口サイズにして鍋に入れるときに、“ねじって切る”や“ちぎりとって投げ入れる”などの動作がそのまま名称になったともいわれる。

高崎の場合、呼び名は「おきりこみ」、味付けは醤油と味噌が混在している。

地域によって名前や味付けが多種多様なのは、小麦料理が普段の食事の中心であり、忙しい農家の生活の中で合理性を求め、いろいろなアイデアが入った結果ではないか。さらに群馬県は山間の農村が多く、他の地域との交流が少なかったことも地域色が強い要因だったと考えられる。

名前や味付けが異なる理由 高崎は交流地点の象徴か?

高崎市の中心部は商人が集まる場所で、東京-信州を往来するルートの通過地点であった。「お江戸見たけりゃ高崎田町」といわれ、豊かで都会的な場所だったので江戸の文化が直接入りやすかったのである。また、経済的にも恵まれた人が多く、米やそばが農村部に比べ多く食べられていたようだ。高崎だけでなく街道沿いはいち早く、食を含めた文化が入ってきて多様化した。

また、高崎は、色々な地域から嫁入りしてくる人が多いため、呼び方や味付けなど料理が多様化していたようだ。

粉もの文化を受け継ぎたい

前述してきた粉もの料理は、食糧が多くなかった時代に、工夫を凝らし、考案されてきたもの。そのために、野菜が多く摂取でき、食育には有効なものばかり。次世代や他地域に伝えるべき料理だ。

「伝えるときは、単に調理法を伝えるのではなく、その土地の歴史、文化など、背景にあるものも伝えるべき」だと群馬の食文化研究会の志田俊子さん。取材のために訪れた家庭で、麺の固さを「水ひとしずく分だけ足らない」と義母がアドバイスし、その通りに作り上げた嫁を目の当たりにし、真に文化を伝えるということはこれだ、と思ったそうだ。レシピでは伝わらない五感を通した伝承が、郷土理解につながり文化を発展させる。

代表的な小麦を使った料理

おきりこみ

おきりこみ

切った麺を野菜と一緒にそのまま鍋に入れて煮込む料理のこと。江戸中期以降食べられている。名前は「切り込む」という言葉からきている。

おきりこみは、塩を加えずにこね、茹でずに鍋にそのまま入れる。打ち粉として使った小麦粉も煮込むので、汁にとろみがつく。

材料の小麦の質はうどんと異なる。おきりこみは日常の食事のため、ふすま(小麦のぬか)が混じり、地域によっては大麦の粉やトウモロコシの粉を混ぜた粉なども使われていた。

夕食として食べられることが多く、残ったものを翌朝に温め直して食べることがよくあり、これを「おきりこみの立てっ返し」と呼び、これが美味しいという人も多い。一晩たったおきりこみは、汁を吸い尽くして鍋の中で固まっていたりするが、それをご飯にかけて食べるという食べ方もある。

小豆ぼうとう

小豆ぼうとう

吉井町奥平のあたりでは、小豆と麺を一緒に煮込むものもあり「小豆ぼうとう」と言われる。昔この地域には、多胡郡という独自の国が存在したと言われており、独自の文化を大切にしていたのではないか。また、そうした土地柄がこのような珍しい料理が受け継がれてきた理由の一つではないだろうか。お汁粉のもちの代わりに、うどんを入れたのではないかと言われている。

すいとん

すいとん

すいとんも、石臼が農村に普及した江戸以降食べられていたようだ。小麦を耳たぶほどの柔らかさにこねたものを、ちぎるか、スプーンなどですくい、鍋で煮る料理。こねるときに塩を使わないため、汁がどろっとして濁るなど、おきりこみと作り方がほとんど同じなので、おきりこみのルーツともいわれている。おきりこみのように小麦粉をこねた後、伸ばしたり切ったりしないため、すいとんがおきりこみより先に広まったと言われている。しかし、この説とは反対に、おきりこみのようにこねた小麦粉を伸ばしたり切ったりするのが手間だったため、そのままちぎって鍋に入れたのが、すいとんの始まりとも言われている。

どちらの説にも共通しているのが、忙しい農作業の合間に手軽に作ることが出来たためひろまったというものだ。

焼きまんじゅう

焼きまんじゅう

焼きまんじゅうは、酒まんじゅうの一種。昔はまんじゅうを膨らますために甘酒や麹を主に使用していた。現在では、重曹やイースト菌・麹を使いまんじゅうを膨らませている。この酒まんじゅうを串に刺して味噌を塗って焼かれ、群馬県と埼玉県北部以外にはほとんど見られない独特の食べ物だ。あんが入っているもの、いないもの、2種類がある。しかしいつごろから食べられるようになったか詳細ははっきりしていない。

前橋・沼田・伊勢崎を中心に、群馬には製糸工場の女工さんなど、たくさんの人が働いていた。焼きまんじゅうはそういう人たちのおやつになった。昔の焼きまんじゅうは、今のものよりもかなり大ぶりで、しかも一串に5個刺してあった。大きな口を開け、ぱくりと食べる、気取らない食べ物は、群馬の女性のおおらかな、さばさばとした気質によって今に伝えられている。

おやき

おやき

まんじゅうと味噌、という組み合わせは、やきもちにも見られる。最もシンプルなやきもちは、小麦をこねて味噌を練り込み、丸めて焼いたもの。昔は「土ぼうろく」という土製のフライパンのようなものを使い、囲炉裏で焼いていた。ぎゅっと締まった固い食感が特徴だったが、現在は重曹を入れているため、ふっくらしている。

満腹感を出そうと、あんとして野菜を刻んだものなどを中に入れたものがある。小麦の収穫量が少ない山間部に多く見られる。小麦がほとんど採れない地域ではソバ、ヒエ、トウモロコシのおやきが焼かれていた。東毛では、低湿地で米が採れたので、小麦とまぜた「メシヤキモチ」が食べられていたようだ。高崎は平野部で小麦に恵まれていたために、あん入りでないものが多く、生地にネギやシソを刻んで入れていた。

文責/菅田明則・新井重雄

高崎商工会議所『商工たかさき』2010年8月号

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