意外と知らない高崎の食品工業 県下最大の食品工業都市に

意外と知らない高崎の食品工業 県下最大の食品工業都市にニップン冷食 (株)高崎工場

意外と知らない高崎の食品工業 県下最大の食品工業都市に日本ケロッグ (株)高崎工場

 高崎の産業構造に興味深い特徴が表れ始めた。合併により、食料品分野の工業出荷額が県内トップとなった。ナショナルブランドを含め、高崎市の食品工業出荷額は平成18年度で1,000億円超。森永製菓の新工場の生産額は年間500億円が計画されており、さらに食品工業が高崎の産業の大きなウェイトを持つことになる。

バランスのとれた高崎の工業出荷

 平成18年の高崎市の工業製造品出荷額総計は約7、519億円(前年比4・9%増)。太田市、約1兆2、924億円(2・8%増)、伊勢崎市、約1兆982億円(3・2%増)に続き県内で3位。4位が前橋市、約5、883億円。

 高崎の工業製造品は、金属、機械、化学など産業のバランスがとれていると言われ、平成18年の分野別出荷額では、化学1、486億円、食料品1、152億円、電子部品1、069億円で、この三分野では県内でトップの出荷額。

存在感示す新町地域の集積

 高崎市の工業製造品出荷額の中で、合併によって出荷額が大きく動いたのが食料品。各地域ごとに数値が出ている平成17年ベースで食品工業出荷額を見ると、高崎市約692億円、箕郷町約14億円、榛名町約143億円、群馬町約63億円、新町約276億円。特に新町は全出荷額の8割を食品工業出荷が占めており、新高崎市の食品工業の中でも比重が高い地域となっている。

 県内の従業員30人以上の規模の大きな食品工場について見ると高崎市の集積が顕著だ。合併後の高崎市31事業所・出荷総額約1、068億円。前橋市30事業所・約944億円、伊勢崎市11事業所・約825億円と続く。

ナショナルブランドの生産拠点が高崎に

 合併によって高崎市の食品工業が県内トップになったということは、もとより高崎都市圏に食品工業が集積していたことを意味する。

 ナショナルブランドの製造工場では、ケロッグ、ニップン冷食(日本製粉)、タカナシ乳業、ハーゲンダッツ、第一屋製パン、東海漬物、加ト吉水産、クラシエフーズ(元カネボウ)、飲料では大塚製薬。地場企業では、高崎ハム、ハラダ、ハルナビバレッジなどが上げられる。

 特筆すべきは、ケロッグもハーゲンダッツも国内唯一の生産工場。大塚製薬のポカリスエットも高崎ブランドと言える。製粉から転換したニップン冷食高崎工場は、日本製粉が冷凍食品業界を開拓するパイオニアの役割を果たした。森永製菓も高崎が国内拠点工場になる。

 また、ナショナルブランドの県内製造拠点を見ると、前橋市に、赤城フーズ、サンヨー食品、新進、マニハ食品、丸大食品、村岡食品。館林市に日清フーズ、正田醤油、カルピス。伊勢崎市にまるか食品。富岡市に鶴田食品工業。榛東村に白子のり。沼田市に日本デルモンテ。太田市にサッポロビール、千代田町にサントリーなど、普段われわれが口にしている飲食物が、実は意外と高崎や群馬県で製造されているのである。

関東の中でも高崎の食品工業は高水準

 関東信越地域で、食品分野の工場数または出荷額が多い都市と比較しても、高崎市は高水準となっている。全産業の出荷総額では、東京区部、政令都市を除けば、宇都宮市1兆6、311億円、相模原市1兆5、000億円が工業集積を示しているが、食品出荷額で1、000億円を超えている都市は少ない。

 食品工業で特徴的な都市では、銚子市が古くからヤマサ醤油、ヒゲタ醤油、野田市もキッコーマンの工場があり醤油工場の集積地となっている。東大和市は森永乳業の中枢工場が所在している。また、新潟県のように米菓の出荷全国1位1、411億円(平成18年度工業統計表品目編)と特化分野を持っている地域もある。新潟県では食品に限らず、企業誘致を産学官が連携して積極的に進めており、行政の施策も極めて重要だ。

 材料となる農産物の調達に有利な産地での工場立地から、輸入にシフトし湾岸地域への拠点集約が進み、高崎もこの流れの影響を受けてきた。全国有数の小麦産地を後背地とする高崎には日本二大製粉会社、日本製粉と日清製粉の工場が高崎駅をはさんで南北に立地していた。両工場とも地場産業として大正期に誕生し、高崎の工業を牽引してきたが、日清製粉は昭和63年に高崎から撤退。日本製粉高崎工場は、平成6年に製粉から冷凍食品製造に転換している。

 製粉とともに食品加工の歴史をひもとけば、高崎ハムも戦前からで、昭和13年に群馬県畜肉加工組合として設立された。カネボウの歴史も明治10年の新町紡績所から始まっている。

 地場産業や国策ともからんだ高崎の産業の流れに、新たな企業誘致が本格化し始めたのは昭和40年代以降。第一屋製パン高崎工場、キリンビール高崎工場が昭和40年。ケロッグ高崎工場が昭和44年。タカナシ乳業群馬工場が昭和37年、ハーゲンダッツの製造開始が昭和59年。大塚製薬高崎工場が平成元年。東海漬物榛名工場が平成4年。宮原町、倉賀野、萩原町の工業団地を中心に立地が進んでいる。

高崎の歴史を受け継ぎながら、新たな有力企業の力を加えることで水準の高い工業を築くことができた。

高崎でグローバルな事業展望も

 ここ数年の流れの中で生産工場の集約化が進んでおり、特に食品は原材料の輸入比率が高く生産拠点が内陸から港湾に近い場所に移転、あるいは海外に移ってしまうことも多かった。日本製粉では、関東地区の製粉事業を千葉と横浜に集約し、高崎工場での製粉事業が移管されている。食品製造では、かつて国内農産物の主産地をベースにした立地であったが、最近は物流を中心とした立地に移行した側面もある。

 一方、高崎の高速交通網は、輸出入を含めた物流を展望できる可能性を持っている。ケロッグ高崎工場は、現在は東京港、横浜港を海外との窓口として物流を行っているが、新潟港、北関東道全線開通による茨城・常陸那珂港の利用も研究しているという。高崎から東京、横浜、新潟、那珂湊への時間はほぼ同じで、各港の航路や物流ノウハウが選択のカギになっているようだ。ケロッグでは、高崎が日本国内での唯一の生産工場のため、緊急時には、アジアの各工場より、日本に商品が供給されるような危機管理体制をシミュレーションしている。

 平成19年の国際コンテナ航路便数(国交省港湾局)では、東京港が北米に週便、欧州が5便、アジアに週83便。新潟港は北米、欧州はなくアジアに9便。常陸那珂港がアジアに2便、欧州は2週に1便。港湾貨物の取扱量では、名古屋、千葉、横浜、苫小牧港が国内の上位に位置している。原材料の輸入比率の高い産業では、海外との交易は生命線。ケロッグが指摘しているように、新潟、常陸那珂港の機能も高崎の拠点性を高める上で、重要な要素になってくるだろう。森永製菓では、高崎に生産拠点を建設する際に、新潟港からアジア地域を展望している。国内物流だけでなく、港のない高崎からグローバルな事業展開が見通せる状況になってきた。

ケロッグ高崎工場―アジア初で国内唯一の工場
生産・物流・開発・消費者対応まで

 高崎の〝交通拠点性〟が古くから発展の原動力となっているが、高崎市民が思う以上に外部からの評価は高い。最近では森永製菓、ヤマダ電機、マイクロソフトも企業立地の理由として高崎の交通利便性を指摘している。

 来年、高崎工場40周年を迎えるケロッグも物流効率の良さが、進出の大きな理由だった。昭和44年、アジア初の生産工場として、ケロッグの世界戦略に位置づけられた日本工場。首都圏近郊の候補地の中で高崎が選ばれた。ケロッグ高崎工場の佐藤真澄工場長は「群馬は日本の真ん中。当時は現在ほど交通網が発達していなかったが、高崎への進出は正しい選択をしたと考えている」と話す。ケロッグの生産工場は国内で高崎が唯一。シリアル食品(穀物加工品)の生産は70アイテムで年間4、000万個、ビスケット類が12アイテムで1、700万個。物流拠点も工場横に立地し、午前中の受注は翌日には全国に届けられる。

 高崎工場では商品の研究開発も行われ、ブランフレーク、玄米フレーク、チョコワはアメリカ本社主導ではなく高崎で生まれた商品だ。他にも、特保(特定保健用食品)製品、ビスケットなど、日本人の嗜好にあわせた味、色、食感の研究も高崎で行われている。「アメリカの製品をそのまま持ってきても、日本ではまず売れない」と佐藤工場長は苦笑。食物繊維とビタミンバランスの良いビスケット製品は、女性を中心にこれから伸びていく分野として力を入れている。

 4、5年ほど前から、お客様相談室も東京本社から高崎に移した。健康や安心・安全への関心が高まり、専門的な問い合わせが増えたのも理由の一つだが、何よりも「お客様を待たせずに、品質管理の専門家がすぐに対応できる。お客様の声をすぐに改善に生かせる」と言うのが最大の理由だ。ケロッグのパッケージには、全てお客様相談室のフリーダイアルと高崎工場の住所が印刷されている。

 高崎工場の創業当時、100人を越える従業員は全て工場近郊から採用。半径2キロ以内で、歩いて出社できる範囲だったというから今を思えば微笑ましい。ケロッグ発祥の地、アメリカ・バトルクリーク市と高崎市が姉妹都市を結ぶなど、高崎を愛し愛される工場だ。

日本製粉高崎工場―高崎の原風景
ニップン冷食としてグループの基幹に

 日本製粉の創業は明治初年、日本の近代化と共に歩んできた。大正9年(1919)に高崎工場の前身、東洋製粉と合併し90年間高崎で操業している。現在、日本製粉グループのニップン冷食として事業を展開し、高崎で最も歴史を持つ工場の一つだ。建築家の木子七郎が設計した懐かしい木造製粉工場を記憶している市民も多く、惜しまれながらも平成6年(1994)に製粉部門の閉鎖で木造工場は解体された。

「新幹線が高崎駅に近づくと日本製粉のサイロが見え、『高崎に着いたと実感する』という話をよくうかがいます」と言う井本俊治社長兼工場長。現在も4基のサイロが健在で、高崎のランドマークになっている。

 国内でも有数の小麦産地の群馬の物流ターミナル高崎駅に隣接した高崎工場は、日本製粉にとって重要な生産拠点だった。歴代工場長は本社取締役級がつとめ、後に社長に昇った人材もいる。ニップン冷食となってからも、日本製粉の名を書かれた歴史あるサイロを使い続けているのは、日本製粉グループ幹部が高崎工場に強い思い入れを持っているためだとも言う。

 日本製粉が製粉工場を湾岸地域に集約する際、高崎工場も閉鎖される計画だった。しかし、高崎工場の従業員が一丸となり、冷凍食品への取り組みを本社に嘆願し存亡の危機を乗り越えた。「高崎はチャレンジ精神にあふれた工場。本来ならば、その時に閉鎖されていたはずだが、高崎だけが残った」と井本工場長は振り返る。平成8年に日本製粉のグループ企業、ニップン冷食高崎工場として新たなスタートを切った。

 「クリームコロッケが全国のデパ地下で大好評。クリームコロッケのはしりでブームを作った」とヒット商品も誕生した。高崎工場が生産する冷凍食品は月産500トン。現在は、『パイシート』、『ホットケーキ』など〝粉〟に関係する冷凍食品を主力に生産している。粉に関する製造ノウハウは十分に蓄積されており、小麦粉を原料とする加工品は得意分野だ。自社ブランドとともに、ベーカリーや外食産業向けのOEM製品など、アイテム数は200数十種類にのぼるという。生産ラインとしては、大ロット生産の竜ヶ崎工場と、テストプラントも兼ねた機動性のある高崎工場で役割を分担している。

 高崎工場での従事者数は約300人。20、000㎡の敷地には、歴史的な外観の建物も並んでいるが「一歩中に入ると、最新設備で驚かれる人も多いのです」。敷地には、稲荷社があり、毎月月初に神事を行うのが高崎工場の恒例という。

(文責/菅田明則・新井重雄)

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