高崎新風土記「私の心の風景」
橋の風景から④ —鼻高橋—
吉永哲郎
豊岡・八幡地域と鼻高地域との往来には碓氷川に架かる「鼻高橋」を渡ります。新鼻高橋は1981年(昭56)に従来の一車線の鼻高橋と並行して新設された橋です。この地域の人は碓氷川を渡るには舟でした。やがて渡船場に仮橋が設けられましたが、度重なる洪水によって流出するので、1963年(昭38)に鉄筋コンクリートの永久橋に改造されました。この橋が新鼻高橋の上流に並行している橋です。
少林山達磨寺の洗心亭に、1933年(昭8)9月から1936年(昭11)10月まで、ナチ政権下のドイツから亡命してきた建築家ブルーノ・タウト夫妻が滞在していました。タウトの日本での著作のほとんどは、この地で書かれました。特に『日本の家屋と生活』には、鼻高を散策した折に見かけた農民の日常生活をもとに、その住まいの美に触れています。こうしたことが核となって、あの桂離宮の美の賛歌を記すことになったのです。
いわばこの少林山付近の風景は、日本美の原点なのです。タウトが初めて洗心亭を訪れた時の鼻高橋は木造の仮橋でした。背が高く鼻のとがった外人夫妻の姿を見ようと村人の大勢集まり、村童達は群れをなして洗心亭までついていきました。タウトの日記「日本」には、碓氷川に二つの橋が架かっていたと記しています。
先日、旧鼻高橋から浅間山を眺めに行きました。夕暮れからの美のドラマに時を忘れました。
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