高崎新風土記「私の心の風景」
92. 時代を反映する七五三風景
吉永哲郎
七五三の日は11月15日ですが、今は記念撮影の写真屋さんの混雑を避け、また家族の勤務の関係から、この日にお祝いをすることが少なくなったようです。親が子どもの成長を祝う気持ちは、以前と変わらないと思いますが、その気持ちの表し方には時代の流れを感じます。右肩上がりの経済成長期には、ホテルの一室を借り切って、家族友人を呼んでの華やかな祝いの風景を見かけました。また一方で、氏神に詣で、神殿で神主のお祓いを受ける古風な祝いを、保っていた人もおりました。
こうした風景で印象に残り、思い出されることがあります。それはある年の七五三の当日、万葉集ゆかりの山辺の道を歩いていた時、夕暮れの奈良の石上神宮に詣でました。木々に囲まれた森閑とした神域から、祝詞をあげる神官の声がしますので、本殿前に行きますと、内陣に質素な正装の若い夫婦の間に、晴れ着の少女の一組が正座していました。その時、子どもの成長を思う日本の親の原風景を見た思いがしました。「大和は日本人の心のふるさと」とは、無名の人々の清純な心の満ちあふれた姿が、大和にあるという意味だと、こと時強く感じました。
さて、私の七五三は、時代を象徴しているように、当時でも珍しかったイタリアの政治家ムッソリーニの軍服姿でした。小さい時から父に、美しい女性はポッテチェリー描く「ヴィーナスの誕生」だと画集を見せられ、「お前のふるさとはフィレンツェだ」とも教えられていました。父はファシストではありません。ひたすらイタリアを藝術文化の国として、尊敬し憧れていたのです。七五三の日、微笑む父を思います。
- [次のコラム:93. 除夜の鐘を撞く]
- [前のコラム:91. 月が西の空にある夕方は]