高崎新風土記「私の心の風景」
土用に「ウナギ様」を口にはできねえ。
吉永哲郎
「土用」とは、旧暦で立春・立夏・立秋・立冬の前のそれぞれの十八日間をいい、その初めの日を「土用の入り」といいます。夏の土用だけをさす言葉ではありませんが、江戸時代中期の学者平賀源内(一七二八~七九)が、ある鰻屋に看板を依頼され、万葉歌人大伴家持の「石麿(いしまろ)にわれ物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻取り召せ」の歌を踏まえて、「今日は丑の日」という看板を書いた事から、土用丑の日の鰻がひろまったといわれます。
さて、食べ物には好みがありますから、鰻を好む人ばかりとはいえませんが、地域ぐるみ鰻を食さないところがありました。「昔、天然痘が流行するたびに、白い斑点を身体中につけた鰻が、野川に死んでいた。これを見た村の人は鰻が身代わりに病んでくれたのだと思い、鰻への信仰が厚くなり、鰻を食さず、ことあるごとに氏神さまの放生池に鰻を奉納した」という伝承をもつ菊地町です。
氏神はこの地の抜鉾神社で、本殿から少し離れた東に鬱蒼とした茂みが、かつての鰻の放生池です。池は古木の陰でひっそりとしていますが、何か妖気ただよう霊気を感じます。
この伝承を70年代頃には、菊地町の古老から聞くことができましたが、今はどうでしょうか。でも、いまだに「ウナギ様」といって、鰻を口にしない方がおられると聞きます。
自然・食・人間との共生のありかたを教えられます。
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